「砂糖女史の執心」


 再び目覚めると、部屋の中はもう薄ら暗くなっていた。夕日がカーテンの隙間から侵略し、部屋に一筋の赤い線を描き、冬の夜の静けさの兆候とも言うべき、なんとも抗いがたい気だるさが部屋には満ちていた。どんなに健全な人間でも、ふと辺りの静けさに憂鬱になったことがあるだろう。俺にとって、今がその時だった。そんな空気の中に、俺は砂糖女史の姿を求めて視線を放った。枕元には居ない、隣の布団にも居ない、おおよそ見える所には、彼女はおろか人の姿すら見つけられない。もしかして、これは俺が見ている夢かなにかだろうか。もしそうならば歩けるかもしれないなと、足に力を入れると、俺はすんなりと立ち上がることができた。しかし、足の関節が笑いに笑って今ひとつ力が入らない辺り、夢という訳ではないようだった。
 客室を出て案内看板を見ながらお手洗いまで歩くと、俺は眠っている間に溜まっていた用を足す。どうやらこのフロアは旅館の三階らしく、トイレの前には五人は並んで昇り降りできそうな、立派な階段が設置されていた。用を終えた俺は、ふとその階段を降りて、一階へと向かった。時刻も時刻である。もしかしたら、砂糖女史達はまた、大広間に集まって宴会をしているのかもしれない。そんな所にのこのこと顔を出したら、また馬鹿みたいに酒を飲まされるかも、とも思ったのだが、思った頃には既に一階に降りきっていて、大広間の前のリビングに探している人物の姿を見つけてしまっていた。
 あっ、起きましたか、おはようございます。開いて手に持っていた小冊子から顔を上げて、砂糖女史は俺に声をかけた。彼女の目の前にあるテーブルの上には、携帯するにしては致命的に大きい感じのノートパソコンが、起動した状態で置かれていた。排気音が五月蝿い。なにか書類でも書いていたのだろうか。もしや日報。だとしたらメイド喫茶もサラリーと変わらないな。
 寝ている所を邪魔してはいけないかなと思って、下に降りてきていたんです。私が居なくてびっくりしましたか。まさか、そんな、と俺は言った。たしかに彼女の姿を探してはいたが、別にびっくりしていたわけではない。なんとなく、居ないなと思って、どこに行ったか気になっただけだ。言ってしまうと、それはびっくりしたのと何が違うんですかと訊かれそうなので、言わなかったが。俺が言葉を濁すと、彼女は返事を待ちくたびれた感じに、首を傾げてこちらを見つめてきた。その視線に耐えられず、そういうアンタは何をしているんだいと、話をすり替えた。見たところすごく効率の悪そうな事をしているようにしか思えないんだけれど、何かそれに意味があるのか。パソコンを見るか、本を見るか、どっちかに集中したらどうなんだい。
 んー、と砂糖女史は間延びする感じに小さく唸り、ちょっと、それは一言で説明するのは難しいですね、とはにかんだ感じで俺に言った。そりゃぁ、一言で説明できたら凄いだろう。してくれとは、誰も言っていないが。
 しかし酷い装丁の本だ。まるで学校のシラバスのような表紙に、大きな明朝体でタイトルが書いてある、帯もカバーもありはしない。黒く印字されたタイトルは『メイド・イン・アンダーグラウンド』。作者は、佐東、匡。
 佐東匡の新作です。同人誌ですけどね、よかったら読んでみますか。