竜の王と竜の姫 第三十話


「あんさん…… あんさんってば、何をボケーっとしとるんですか?」
 はっと俺は我に返った。目の前の柵越しに立っているのは先ほどの男。手に料理の乗った盆を持ってこちらの様子を伺うように立っていた。どうやら、俺が考えているところを見られたらしい。
 俺がなんでもないというと、男はそうですかと納得したのかしなかったのか、よくわからない返事をして、その手に持った盆を柵の下から潜らせた。俺は、のっそりと立ち上がるとそれに近づき、座り込む。
 鉄の椀に盛られたスープとパン。そして、焼かれた薄い肉と野菜が皿に盛られている。こんなまともな食事、いったい何年ぶりだろうか。いや、俺は食べた事があっただろうか。
「これは、何の肉だ?」
「さぁ? 牛か豚かそこらじゃないですか? あっしが調理したわけではないので、わかんないですが……」
「牛か豚か…… そういえば、村を離れてからしばらく食ってないな……」
 山に入ってからは肉の類はイノシシや虎といった、臭い物しか食っていない。家畜なんて物はよっぽどの事が無い限り襲わなかったし、その前に蛇だの蛙だの、簡単に手に入る獲物が、森には割りに多く居た。美味いのは分かっていたんだがな。
「なんですか? もしかして、嫌いなんですか肉? それだったら、あっしが」
「馬鹿言え、大好きだよ。誰がてめえなんぞにくれてやるか」
 そういうと、男はしょんぼりと指を咥える。何をそんなに残念がるのか。
 俺は男を無視してさっさとこの料理を胃袋に収めるつもりで、パンに手をかけた。が、往生際も悪く、男がじっとこちらを見つめてくる。まったく、食い辛いといったら無い。
 俺が、ちぎったパンを半分男に向かって放り投げると、男はさっとそれを空中で掴み取った。やはり身軽だ、動きに無駄が無い。なんだろうか、この身のこなしは。
「おまえ、そんなに飯が食いたいのか?」
「えぇ? なにせ、飯が食いたくてこの仕事を引き受けたくらいですから。けど、なんか期待が外れちまったようで。囚人に食事は出ても牢番には、出ないみたいなんでさぁ」
「飯が食いたくて? なんだ、痩せてるくせに食うのか、おまえ?」
「いえいえ。食わしてもらえないんですよ。あっしも、あんさんと同じでつまはじきですから……」
 なるほど、身の軽さの合点が言った。俺の体と同じく、生業で身に着けたということだろう。
「お前も、盗賊か何かって所か?」
「そんな豪気なもんじゃありやせん。しがねえスリですよ…… けどね、こういう状況じゃねえですか。仕事しようにも、する気になれねえ、だから食い扶持もねえってわけでさぁ」
 どこにでもいるものなのだな。平時は生きる糧としてそういうことをして置きながら、いざとなったら腰が引ける奴。俺も含めての話だが、こういう中途半端に良心を引きずって、やってる奴はそのうち手痛い目を見る。
「随分と気の弱いスリだ…… ほれ、それじゃぁこれもくっとけ」
 俺が肉を差し出すと、キョトンとした顔で男は俺を見つめ返してきた。手のひらを返したような態度に、納得がいかねえというところだろう。
 俺も、納得がいかねえ。なんでこんな奴に、貴重な食べ物を分けてやろうかと思ったのか。おそらく、自分があの鎧の野郎にされたように、手を差し伸べてやろうと思ったのだろう。まだ、何も罪を贖っていないというのに。
 男はいぶかしそうに皿から肉とサラダを手でつまむと、遠慮しがちに口に運ぶ。俺はそんな奴を無視するように皿の残った肉とサラダを、一口に口の中に放り込んだ。
「やっぱりですね。あんさん、そんなに悪い人じゃねえ」
「おう、なんだ、よく分かってるじゃねえか」
「仕事柄でさぁ。なるたけ、すっても良心が痛まねえようなのを狙ってやしたから。まぁ、やってることがそれでどうこうなるとは、思いはしやせんでしたけど」
 へへへと笑って、美味しそうに肉とパンを頬張る男。最初はなんだこいつと思ったが、割といい奴かもしれない。
 ペロペロと指についた肉の脂を楽しむ男を横に、俺はスープを飲み干すと、盆を牢の外へ突き出して、再び壁際に腰掛けた。男は、それを整理すると、立ち上がる。その後姿に追いすがるように、俺は声をかけた。
「おい、お前? 名前は何ていう?」
「あっしですか? あぁ、残念ながら名前は無いんでやすよ。あいにく、生まれてこの方この身一つですから……」
「へぇ…… ますますもって、面白い奴だな……」
「はぁ。あんさんと比べたら、随分と見劣りすると思いやすが……」
「そうだな…… うん、ドラコでどうだ? ドランの子分だから、ドラコ」
「ドランて言うのは?」
「俺の名前だ。あの鎧野郎が今度来たら、お前の分の食事も用意するようにと俺が言ってたと伝えとけ。あの野郎なら、きっと話を通してくれるはずだ。それで駄目なら、俺の子分だと言えばいい」
 あんさんの子分ですかと苦笑いをするドラコ。なんだか不思議そうな表情をして、食器を持つと、ドラコはまた闇の中へと消えていった。
 きっと、ここに来る道中、俺もあんな顔をしていたのだろうな。自覚が無いだけで。
 さてと、どこまで、考えをめぐらせていたのだったか。
 そうそう、竜の子達の話だ。いきなり、仕事場に落ちていた竜の卵。そこから生まれた、四匹の子竜。どれもこれも、鬱陶しいくらいに俺を慕ってくれる、いい竜たちだった。
 あの子達はどうやらあの鎧野郎が連れてきてくれたらしい。俺が居なくても、あいつらに任せておけば、間違ったことはないだろうが……
「元気にしているだろうかな……」
 たかだか、数日一緒に生活しただけなのに。やはり、それほど俺は、家族や人のつながりと言うのに飢えていたのかもしれない。
 できることなら、はやく、真っ当な奴になって、あいつらに顔を見せてやりたい。
 俺は、布を体に捲きつけると、再び目を瞑った。