竜の王と竜の姫 第三十一話


 村の前の小道に布陣してから一夜明けた。夜を徹しての布陣は、戦闘に影響が出かねないため、見張りを立てて一夜を過ごしたが、魔人が来ることはおろかその気配すら昨晩はなかった。
 相変わらずの青い空を見上げながら、休憩の時間となった拙者は木の陰に座っていた。隣には同じく休憩中のメイ殿。水筒に入れたお茶をコップに注いでいる。
「はい、鉄仮面。お茶」
「うむ。かたじけない」
 メイ殿から渡された木製のコップを手に取ると、拙者はくいと一息に飲み干した。
 アル様もアル様だが、拙者も随分と便利な体をしているものだ。中身は無いというのに、こうやって自由に物を飲み食いできる。といっても、腹が膨れるなどと言うこともないのだが。
 しかし、茶は違う。これを飲んでいると、心が落ち着いて物事がよく見えるようになってくる。特に、緑茶がいい、それも玉露。あれは、他の茶と比べ格段に、私の心が安らぐ。
「戦闘前だって言うのに、随分とのほほんとした顔するわね」
「いや。茶は拙者の好物ですからね」
「ふ〜ん…… 好物ね。こんな安上がりな好物でいいなら、幾らでもあげるけど」
 そういうと、メイ殿もコップのお茶をすすった。
 相変わらず空は青く、蒼白の雲がまばらに天を彩っているだけだ。
「敵は、いつごろ来るでしょうか?」
「さぁ? 来ないかもしれないし、来るかもしれないって、会議でも言ってたでしょ。確かに私らは、隣国の難民を助けに行ったけど、魔人に対して宣戦布告はしてないんだから」
「奇襲に備えると言うのは…… なんだか、不思議な気分ですね」
「私もよ。いっそ、戦争ならもうちょっと楽なのかも知れないけどね」
 たしかに、戦争ならばこんなにやきもきした気持ちで、待つ事もないだろう。しかしながら、戦争ともなれば、正面で相手と戦わなければならない。きっと、犠牲者も多く出るだろう。そういう意味では、今回の戦いはまだましなのかもしれない。
 拙者は仁王立ちで山を睨みつけるアル様を見つめながら、ひとつため息をついた。
 このまま、何事も無く魔人領の軍と合流できれば、いいのだがな。
 そう思った時であった。青色の空が瞬く間に暗転し、紫色に変わったかと思うと、山裾が燃え始めた。いや、燃えてはいない。まるで、燃えているような赤い色を発しているのだ。一つではない、まるで星の様に森の中に群れを成したその光は、ゆっくりとこちらに向かってくる。
「…… なんだ、これは?」
「魔人? 違うよね、何か様子がおかしくない?」
 先ほどまで座っていたアル様たちも立ち上がり、なにやらその不穏な雰囲気に、どうしていいかわからないといったかんじで森の方を見ている。いったいこれはどういうことなのだろうか。
 と、その時だ。目の前に、一瞬にしてノイ殿が現れた。瞬間移動の魔法だ。
「メイ! 緊急事態よ! すぐに、鉄仮面君を連れて城に戻って!」
「!? 何でですか、ノイさん! 何があったんですか?」
「いいから早く! それと、村の入り口を固めるように、守兵に伝えて! わかった!」
「は、はい! わかりました」
 それだけメイ殿に伝えると、またしても一瞬にして我々の前から姿を消すノイ殿。次の瞬間にはアル様たちの所に、ノイ殿は移動していた。どうやら、あちらでも同じようなことを話しているみたいだ。
「とりあえず、戻りましょうメイ殿……」
「うん。少し待ってね……」
 そう言って、メイ殿が魔法を詠唱しようとする。それとほぼ同じタイミングであった。
 天空に銀色に輝く奇妙な魔法陣が現れたのは。途端に、詠唱が止まったかと思うと、顔を蒼白にしたメイ殿が大きな音を尻餅をついた。
 驚く拙者を前にして、メイ殿はただ空を見上げ、口をせわしなく開け閉めしている。まるで拙者が眼中に入っていないかのようだ。
「!? メイ殿!? どうしたのですか、確りしてください!」
 いったい、どうしたと言うことなのだろうか。まるで、蛇に睨まれた蛙の様に、固まって一歩も動こうとはしないメイ殿。肩をゆすっても、いっこうに返事が無い。まるで、あまりの驚きのあまりに我を失っている。そんな感じだ。
 やむ終えまい。拙者は、右手を振り上げると、メイ殿の頬を断腸の思いで張った。すると、はっとメイ殿の眼に光が宿り、こちらを見つめ返してきた。どうやら、意識は戻ったらしい。
「…… 鉄仮面?」
「メイ殿! どうなされた? いったい、何をそんなに驚かれている?」
「そ、空…… あの、空の魔法陣……」
「? アレが、いったいどうしたと言うのですか?」
「あれは…… 魔法の作用を暴発させる、結界の魔法…… この結界の中で、魔法を使うには、結界を発生させた魔法使いの魔力を上回る魔力を消費しないと行使できないの…… けど、あれは幾らなんでも大きすぎる…… 私でも…… ううん、ノイさんでも、こんな強大な魔力、持ち合わせてない……」
「! すると、魔法は使えないと言う事ですか?」
「…… そうなるわね…… やられたわ…… 魔人と一緒にいた魔女の仕業らしいけど…… こりゃ、相当の使い手みたいだわ……」
 どうやら、メイ殿の言っていることは本当らしい。
 前方のアル様たちもいっこうに瞬間移動する気配は無い。どうやら、まずい事になったらしい……
「愚かな奴らだ……」
 天空から厳かに響く声。これは、ドランの時とは違う。明らかに、おどろおどろしい重圧感が声からひしひしと伝わってくるのだ。
 これは…… どうやら、思いのほかに苦戦しそうだ…… そう思って、拙者が見上げた紫色の空には。一本の箒にまたがった魔女が、まるで拙者たちを見下すように浮かんでいた。