竜の王と竜の姫 第二十三話


 手の中のペンダントをそっと横に置くと、俺様はなんだかむず痒くて頭をかいた。意思を継ぐものだとか、そういうのは俺様の柄じゃねえ。しかしまぁ、柄じゃねえとは思いつつも、ロゼの人柄を聞く限りそう呼ばれることに悪い気はしないが。
「…… まぁ、ロゼの事はよくわかった。で、次はちぃのことだが」
「ちぃ様か……」
 何度目か忘れたが、また目を瞑る老婆。感慨にふける…… という感じではない。まるで、説明するための言葉を選んでいるというような感じだ。
「何と言えば良いのかのう。ちぃ様のことは……」
「?」
 そういうと老婆は深いため息をついた。
 いったい、どういう事なのだろうか。ちぃがロゼの娘だというのは、実際そのロゼの口から俺様は聞いた。なのに、なぜ、その当時を知る人間が、こんなにも歯切れが悪いのか。
 と、そのとき、木陰の中でまどろむように俯いていた老婆が、こちらを向きまぶたを上げた。
「実のところを言うとな。ちぃ様のことは、家臣の殆どがその素性を知らんのだ。ロゼ様が産んだ実の子なのかも、またそうであるとして父親が誰であるのかも」
「…… そりゃまたどうして?」
「魔界を統一して暫くせぬうちに、ロゼ様は一時その身をお隠しになされた。三年ほどな。その後、内紛が魔界で起こった際に、戻ってこられたロゼ様が一緒に連れて来たのが、ちぃ様じゃ」
「その三年間の間に、何があったかはわからない…… 幾らなんでもそりゃねえだろ、霞を食って生きて、分身で子供を作るわけでもねえんだから。誰かロゼを見たって奴が居てもいいはずだ」
 もちろん、子供が居ないとなれば話は別だろう。メイやブラウンたちエルフを見ていても、彼らが狩猟の技術に長けている事や、森との共生の術に長けている事は良く解る。しかし、人の手を借りずに一人で子供を生み、育てるなんてたとえエルフであっても無理だ。その為には、せめて一人か二人は協力者が必要になるはずだ。
 だが、老婆はフルフルと首を横に振る。
「秘密裏にそこら辺を探ろうとした者がいたらしいのだがな。何も解らなかったそうだ。ワシらとしても、実の主君を疑うわけにも行かず、言葉どおりにそれを信じたというわけじゃ」
「するってえと、ちぃがロゼの娘であるという確証は無いんだな」
「そうじゃ…… しかし、ロゼ様がちぃ様の為に様々な事を成してきたのは紛れもない事実なのじゃ。ロゼ様はやがて国を継がれるちぃ様の為に、魔界をより統治しやすいように、五つの区分に分割なされた」
 五つの区分。その言葉を聞いてアルはピンと来た。
 先日ノイから見せられた魔界の全土図。中央にエルフ自治領とそのほかの少数民族自治領。東に妖怪たちが住むという東方妖国。南に獣人たちの国、サザンジャングル諸国連合。北にはゾンビなどの住まう大国デッドリィナイト。そして、西に魔人たちが住まう魔人領。
「今の大陸の区分けってのが、そのままロゼが分割したとおり…… つまり、大陸中に分裂していた同種族の者達をそれぞれの区分に纏めたって訳か」
「左様。ロゼ様はそうする事により、それぞれの種族ごとで自治を行わせ、大魔王の責務の軽減と民草の統治者への不満を解消しようと考えなされたのだ。この他にも、魔界の方針を決定する議員機関の発足。優秀な臣民を育てる学院の設立。芸術・文学の奨励と、生産技術の魔界全土への普及・平均化など魔界をより豊かにし統治がしやすくなるよう…… そう、ちぃ様の統治に支障が無いように、磐石な体勢を築こうとなさった」
 なるほど。後継者の為にここまで心血を注ぐのならば、たとえ血縁である証拠が無くとも、実の子だと信じざるを得ない。実際、そう信じて、この老婆もまた律儀にちぃにまで仕える姿勢を見せているのだ。俺様だって、そこまでするロゼを見て、親子で無いなど思わないだろう。
「しかし、結果としてはそれが悪い方向に働いてしまった。そもそも魔界を五つに分けた事で、そのどれかが反乱を起こした場合、残った四つで総攻撃を仕掛けるという不文律のもと、その平和は保たれていたのだ」
 ふと見れば、老婆は悔しそうな表情で地面を睨んでいた。
 そうだ、忘れていた。何故、そこまで徹底した整備を行っていたロゼの国が、今この時代にその存在がわからなくなる程までに衰退してしまったんだ。いや、滅ぼされてしまったんだ。確か、メイが言うには、四人の戦士により大魔王ロゼは倒されたというが……
 まさか……
「その、不文律が壊れた…… つまり、反逆した国が半分を上回ったってことか?」
 恐る恐る聞いた俺の声に、老婆が静かに頷く。
「そうじゃ、自治領を除く四つの国総てが一斉に反逆を企てたのだ…… 奴らは秘密裏に密約を交わし、豊かになった国力をもって、完全なる自立を掲げて我々に宣戦布告した。小国の時と違い相手は大国。しかも、四方から囲まれる形となったこの国は、あっけなく陥落したよ」
 ぐっと手の甲の皺を深めて拳を握る老婆。さぞ、悔しかったのであろう。よりよい魔界のためにと思ってやったことが、恩を仇で返され、結果として自国の首を絞めることになったのだ。
「最後に、ロゼ様は自分の命と引き換えに、自治領の保護を求めた。最初は難色を示した四国の王達であったが、最後には折れてくれた。そして、ロゼ様はこの魔界を侵略した独裁者として断罪され、新たな国の王達の手により葬られた……」
「さぞ、つらかったろうな、婆さん……」
「辛い事など…… 幼いちぃ様を残して逝かれた、ロゼ様と比べればなんて事は無い。それに、ロゼ様はその最後の時まで、この魔界の平和を案じておられた。自分が死ぬことで魔界が平和になるならば、それでいいとまで仰られたのだ……」
 そう言いながらも、老婆の顔には悔しさが満ち満ちていた。そして、アルもまたその沸々と湧き上がる感情に、胸を焦がしていた。
「そういう、顔をするな、アルよ。結果として国とちぃ様はこうして残ったのだ。ロゼ様の願いは最悪の形ではあるかも知れぬが叶えられたのだ。ならば、この平和を守るために、我らは怒りをも堪えよう」
「するってえと、婆さんは、東の村にロゼの城があったことも知ってたのか?」
「……知っておった。あそこにちぃ様がおられる事も、時が来ればあの華が咲く事も。平和を守るため、ワシら年よりはあえてロゼ様のことを後世の者達に濁して伝えてきたのじゃ…… じゃからこの事は、ブラウンもノイも知らぬ」
 このような事実を残された後世の民が知ったらどうなるか。おそらく、ロゼの死の怨恨に縛られ、他国との衝突を繰り返すのは必死だろう。それは、ロゼの目指した平和な魔界の姿ではない。だからこそ、この老婆を筆頭としたロゼの家臣たちは、怨恨を自らの内に秘め、ロゼの目指した平和を守り続けてきたのだ。それが、ロゼの望んだ平和の形だと信じて。
 自らの死をも平和の為に差し出す。ただ一つ、世の平和だけを願い、汚名も死も恐れぬその覇業。なんて恐ろしく、なんて潔いのだ。そんな、そんなロゼの意思を継ぐ物として、はたして俺様はふさわしい者なのだろうか。
 ふと見れば、それを決めるのはお前だと言わんばかり、老婆の目がこちらを向いていた。このエルフ領を魔人の侵略から守った後、お前がそれを決めるのだ、と。
 そうだ、決めるのは、俺様だ……