第五話「カツマサは私の婿」 前編


 嘗てこれほどまでにすがすがしい朝があったであろうか。いや、ない。小六のころ、そういう夢を見て寝ながら果てた日も、今日という日と比べれば遥かにどうでもいい。
 それもこれも、唯のやつが魔法少女などということをはじめてからと言うもの。以来、俺にとって朝の家族との団欒は、『世間一般的な目から見て』、優秀な妹と俺との差を味わせられる場に変わったのだ。いや、けっして俺が優秀でないからおきたわけではない。そう、あれだ、能ある鷹は爪を隠し、鳶は鷹を生むというやつだ。兄より優れた妹などいない。
 とにかく、そんな俺にとって憂鬱極まりなかった朝が、今日は違っていた。
 何故か。それは、自分が映し出されているテレビを見ようともせず、黙々と荒々しく納豆をかき混ぜている唯をみればあきらかだった。いや、でもないな。どちらかといえば、テレビの中で悶え苦しんでいる唯を見たほうがいい。
 満身創痍で地面にめり込み倒れる唯。その顔に向かって、宙に浮く敵の怪人がとどめをささんと武器を向ける。
「どうでもいいが、こういう時くらいサービスしたらどうなんだ? 絶対領域発動させるより、そのほうが展開的にも、読者の好感度的にも良いんじゃないのか」
「妹がズタボロになってるてのに、かける言葉がそれか? あぁ!?」
「心配しているぞ。お前が主人公の漫画の売れ行きを」
「いつから私は漫画の世界の住人になったんだ! このエロ漫画の中の住人が!」
「おぉ、光栄だ。そうすると、俺の未来にはめくるめく美少女たちのエロスな世界が……」
「……」
「しかしまぁ残念だな。義理の妹なら攻略対象だが、血のつながった妹ではな…… まぁ、これもまた運命。健気に、毎朝俺を起こしにきてくれ」
「勝手に言ってろ、この万年ピンク脳男」
 まったく。自分で言っておいて何だというのだ。いや、唯なりに考えた役作りなのかもしれない。しかしまぁ、安直にもツンデレとは。わが妹ながらなんとも浅はか、恥ずかしい限りだ。
 ますます、納豆をかき混ぜる手を早める唯。そんな唯の椅子の下を潜ってクロのやつが、俺の居る唯と対面の椅子へとやってきた。ひょこりと、俺の膝の上に載るとテレビの方に目をやる。
「ふ、どうするクロ? 俺はエロ漫画の中の主人公だとよ」
「ご主人様はエロ漫画というより、田○浩史先生の漫画の主人公といったほうがしっくりくるですぅ」
「お前、また勝手に人の本棚漁りやがったのか。つうか、いったいどうやって読んでるんだ」
「そんな些細なことどうでもいいです。それより、テレビです。そろそろ、例の人が出てくるですよ」
 むむ。そうだった。俺は改めて、今朝清々しい気分で朝の処理を終えて食卓に顔を出してから、何回も見ている妹のピンチシーンが写ったテレビに目をやった。
 敵の武器から放たれる敵の破壊光線。避けれずに瓦礫の中で悶えるだけの唯に、その光が迫る。しかし、それが唯に直撃する刹那、黄色い閃光が破壊光線ごと怪人を真っ二つに切り裂いた。
 唯の変わりに画面上に映し出される、ビルの上に立つ少女。長い黒髪を真っ赤なリボンで結い上げ、片手には長い槍。もう片方の肩には真っ白な鳥を携え、まるで水着に装飾を施したかの如くな衣装から白い肌を覗かせる彼女は、まさしく唯と同じ魔法少女であった。
「…… しかしまぁ、こんなエロゲーの中にしか出てこなさそうな魔法少女に助けられるとは…… 自称、正統派の魔法少女として恥ずかしくないのかね? うん?」
「うっさいわね! 私だってね、好きでこんな奴に助けられたわけじゃないわよ!」
 そういうと、先ほどまで納豆をかき混ぜていた箸を、これでもかと机に叩きつける唯。その箸の先端が粘々とした納豆の糸で空中に線を描いたと思ったら、こちらに向かって漂ってきた。
 まずい! 俺はすかさず目でティッシュの位置を確認すると、早撃ちの如く日ごろ鍛えたティッシュテクニックでそれを受け止める。
「うわ、汚いではないか唯! 日ごろ、『飛んでいる粘着質な液体』をティッシュでキャッチをすることが日課となりつつある俺だから良かったが、これがクロなら顔射モノだぞ」
「うわぁ、ご主人様。それ、オブラートに包んでいるようで、微妙に包めてないです」
「あんたが朝っぱらからエロゲーがどうとか朝から言うからでしょ、この変態野郎! あぁ、もう! こんな奴と、一緒に居ても余計気分悪くなるだけよ……」
「そんな事は無い。俺はお前のその屈辱にまみれた負け犬顔を見ていると、こう、まるで、朝露にきらめく新緑の中に香るバラのかほりの如く、清々しい気分になるよ」
「ほほぅ。朝露に香るイカの匂いばかりかいでるお前にしちゃ、随分と頑張った表現だな。いっぺん死んで見るか?」
「うわ、痛い! やめてください唯さん、魔法ステッキの柄を鼻の穴につっこんで開発するのはやめてください…… 痛い! 痛いってば、ちょっと!」
 俺は魔法ステッキの荒々しい愛撫から逃げるべく椅子から飛びのくと、臨戦状態の某悪の軍団戦闘員が如くの体勢で唯から距離をとる。朝もはよからテーブルを挟んでの睨み合い。今にも唯の奴はその手に持った人一人くらい楽に殺せそうな装飾の施された鈍器を、俺に向かって投げてきそうだ。まったく、なんて暴力的な女なんだ。こんな奴が魔法少女だなんて、俺もビックリだが某時空管理局の魔法使いもビックリに違いない。
「まったく、お前という奴は。鼻の穴の括約筋が緩んで、汚物が垂れ流しになったらどうしてくれるんだ。はっ、まさかお前、そんな趣味が…… この痴女がっ!」
「鼻水くらい風邪なり花粉症なり誰でも出るだろうが! 汚物とか言うな、艶かしいわ!」
「あぁ、唯ちゃん…… かわいかった君が、どんどんと汚れていく…… というか、ご主人様、唯ちゃん? 鼻に括約筋は無いですよ?」
 くっ。クロめ余計な事を。まぁ、唯の奴も勘違いしていた様だしこれはおあいこだろう。というか、専門用語に近い括約筋がどこにあるかだなんて、そんなの普通の人間が知る由も無い。だから、この程度の勘違いは勘違いのうちにも入らないはずだ。しかしまぁ、クロのWiki地獄巡りもついに人体のシークレットに迫るようになったというか、また俺に黙ってPCを使っていたのかこのバカ猫は。一度その毛がどれほど俺のPC及び生活環境に影響を与えているのかを、懇々と諭してやらねばなるまい。
 と、俺がクロを睨みつける横で、唯は淡々と朝食を平らげる。いつにもまして素早くご飯を口の中に放り込むと、お茶の代わりに味噌汁で一気に胃の中に流し込む唯。魔法少女がどうとか言う前に、一人の女としてこれはどうかと思う。
 この一部始終を撮影して、某会員制動画サイトに「恐怖! これが魔法少女の正体&実態」とかタイトルつけて投稿してみたいが、コメントに本名とか家の住所とかを知人が張らないとも限らないので、やめておこう。というか、そんなものを撮ろうとしたら、今度は体のどこかに開発用の穴が一つ増えてしまいかねない。
「ごちそうさま…… それじゃ、お母さん、行って来ます」
「怪我してるんだから、今日くらい学校お休みしたらどうなの唯ちゃん?」
「こんな馬鹿野郎と一緒に居ると、せっかく閉じた傷がまた開いてきそうだわ……」
「おいおい、股を開くだなんて…… いや、いえ、はい、あのホンマすいません。調子こいてました唯さん……」
 突っ込まれていない方の鼻の穴にステッキを突っ込んで、メンチをきる唯。さながら映画の悪役に獣を突きつけられたような、実際にステッキからはビームの一つや二つくらいは出る訳で、正直生きた心地がしない。
 とりあえず、俺の前で無駄に嫌味たらしいため息をつくと、唯の奴はおぼつかない足取りで部屋から出て行った。まったく、母さんの言うように体を痛めてるというのに無茶しおって。せっかく、兄として多少は傷をねぎらってやろうかと思ったのに。無愛想な奴だ。
「それで、今日はおにいちゃん学校だったっけ?」
「あぁ、そうだな…… 俺は、あいつと違って繊細な体の持ち主だからな…… 両方の鼻の穴が妙に痛むし、もしかすると性質の悪いウィルスでも入ったかも知れないから、今日は学校休むよ」
「ご主人様…… もし、鼻の広がった顔を同級生に見られたくないとか言うなら心配ないです。なんら一切ご主人様の顔は変わってないですよ」
「ははは、おいおいクロよ、そんな主人のご機嫌を取ったところで何もでんぞ? アレだけの仕打ちを受けて俺の菓子細工の様に繊細な顔つきが崩れないわけ無いじゃないか。それこそ、ギャグ漫画のオデブちゃんよろしくの見事な豚鼻に、クラスの女子が失禁することうけあいにきまってるさ」
「ご主人様の場合、ギャグ漫画のオデブちゃんは本から…… というか、学校行きたくないだけだろう、このヒキコモリが!」
 おいおい、言わせておけば随分じゃないか。まるで、20歳童貞の7月から学校へ行ってない三重県在住、職業ブロガーとか自称するニートかウ○コ野郎みたいに。言っておくが、俺はまだそこまでは堕ちてない、誹謗中傷もいいところだ。誹謗中傷の意味は分からんが。
「さて、飯も食った事だし、部屋に戻って続きをするか」
 俺は母を残して食卓から離れると、そのまま二階の自室へと向かう。すぐ後ろには、俺と同じく食事を食い終えたクロが例の如くついてくる。
「ご主人様、夏場は匂いが篭るから、程ほどにしませんか?」
「おいおいクロ。毎日の魔法の鍛練を怠っているようではは、まるでどこかの魔法少女の様に痛い目を見ることになるぞ」
「痛い目を見るような状況に、これまでも今後もなる予定も無いくせによくそんな心にも無い事が言えるです……」
「ははは、分からんぞ。もしかすると、あの魔法少女が唯と敵対して我が家に攻めてくるかも知れんではないか。そんな時、俺の回復力なしに、勝てると思うのか?」
 まずあり得ないといった感じの表情のクロを背に、俺は自室のドアノブを捻る。まぁ、実際のところ俺もそんなシチュエーションは絶対にありえないと思ってなくも無い。そんなギャルゲームやアニメじゃあるまいし、魔法少女どうしが敵対などあるわけが無い。敵対する意味も分からない。
 まぁ、強いてこの家に来るとするなら、あの女が俺に惚れて、押しかけ女房してくるといったところだろう。魔法少女の押しかけ女房、なんともそそるではないか。ふふふ、俺も罪な男だ。
「おかえり…… カツマサ……」
「そうそう、ただいまってな…… ふっ、クロ、お前も随分とわかる様になってきたではないか、俺の思考を読んで尚且つ感情のこもった声色でそんな言葉を言うだなんて」
「ご、ご主人様…… あ、あれ……」
 感心してクロの頭の一つでもなでてやろうかと思った俺の目の前で、まるで剥製の様に固まるクロ。そっと上げた右腕が示した方向に居たのは……
 俺の部屋で正座しながらこちらをまっすぐと見つめる、スクール水着をちょっと改造したようなキワドイ魔法少女服に身を包んだ、肩に白い鳥を止まらせた、紛れも無い先ほどテレビの中に俺が見た魔法少女だった。


―つづく