竜の王と竜の姫 第十七話


 出発してから二・三時間立っただろうか。鉄仮面たち一向は峠の頂点付近まで来ていた。
 既に太陽は頂点に指しかかろうとしている。予定ではもう既に難民達と合流しているはずなのだが、何故だか前の方から人がやってくる気配は無い。
「おかしいわね。予定じゃ、もうこの辺りで先頭とぶつかっていてもおかしくないのに」
「彼らも、長旅で疲れているのかもしれない。それに一般人の集団だ、そうそうこちらの思惑通りには動いてくれないだろう」
「それにしたって、クトゥラが帰ってきてないじゃない」
 メイの言うとおり、野営地からの出発前に様子を見るために先行したクトゥラが、未だ帰ってきていない。竜の翼ならば、往復にこんなに時間はかからない。とすると……
「もしかして、何かあったんじゃない? 峠を越えられないような状態になるような何かが」
 鉄仮面の言葉を代弁するメイ。薄々何かあるのではないかと鉄仮面も感じていた。が、フィルの手前不安をあおるような事は言えず、今まで黙って進軍してきた。それに、クトゥラが帰ってこない理由も色々と考えられた。単に、難民軍の代表達と今後の事について話し合っているのかもしれないし、我々の進軍に感づいた魔人の追撃を受けたとも考えられる。特に前の場合ならと考えて、鉄仮面は行軍スピードを速めなかったのだが、ここまで遅れると流石にそうもいってられない。
「クトゥラ…… どうか、無事だと良いのですが」
 そう心配げに呟くフィルを見て、鉄仮面はついに進軍スピードを速めることを決意する。これ以上彼女から仲間を奪わせるわけにはいかない。馬上で振り返り、鉄仮面が腕を振り上げて皆に号令をかけようと思ったしたその時。部下の一人がこちらに向かって指をさした。
「鉄仮面さん! あれを、見てください!」
 振り返った鉄仮面の視線と部下の指先の延長戦が重なる先。峠の先からこちらへ向かい飛んでくる竜が一匹。銀色にきらめくそれは、まさしくクトゥラである。
「クトゥラ!」
 馬を止め、降り立つクトゥラを待ち受ける鉄仮面たち。粉塵を巻き上げて、鉄仮面たちの前にクトゥラは朝と変わらぬ姿で降り立った。どうやら、最悪の事態は無かったようだ。
「ごめんなさい、随分と帰るのが遅れて…… 心配をかけたかしら」
「いや、無事で何より。それより、何があった? 本来なら、もう難民達と合流してもおかしくないのに、全然こちらに向かっている気配が無い。道でも塞がっているのか? それとも、猛獣でも出たのか?」
「ん〜。そのどちらでもあるというか、何と言って良いか……」
 少し悩むような表情をするクトゥラ。そのどちらでもある? 猛獣が出て道が塞がっているとでも言うのだろうか。
「難民達が言うにはね、最近あの峠には魔人が住み着いたらしいのよ」
「魔人が?」
「えぇ。姿を確認した者は居ないらしいんだけどね。けど、峠を通ると「荷物を置いていけ〜」って声がするんですって。まぁそんな嘘みたいな話なんだけど、彼らはその魔人に国を滅ぼされたばかりでしょう?」
 なるほど、もし噂が本当でその魔人の逆鱗に触れてしまえばまた大変な事になってしまう。そう考えると足が進まなくなるのもわからないでもない。
 しかし、こんな辺鄙な山奥に魔人が本当に居るのだろうか。まして本当に居たとして、姿を見せず荷物を置いていけなどと言う情けない魔人が。魔人ならそれこそ、力ずくで奪いそうな物だが。
「つまり、その魔人を何とかしないと、難民達は峠を越えられないというわけか」
「そういうこと。私も空から見渡して、特に魔人らしき影は見えなかったって言ったんだけど、それでも信じてもらえなくて。何とかならないかしら」
 やれやれ、困った事になった、と鉄仮面はため息をついた。
「分かった。それなら、私が先に一人で様子を見てこよう。それで、魔人が出なければ彼らも安心するだろう? 出たら出たで、拙者が退治すればそれでこの事件は解決する」
「それはそうだけど……」
「大丈夫なんですか、お兄様。相手は魔人かもしれないんですよ?」
 大丈夫大丈夫と、笑うと鉄仮面は馬に鞭を入れる。メイに後のことを任せると、そのまま峠へ向かい一目散に馬を走らせる。
 鉄仮面が思うに、おそらくその魔人というのは、山賊崩れかなにかだ。おそらく、魔人だと名乗る事で、追いはぎがし易くなったため、そういう風に風潮しているに過ぎない。とすると、おそらくたいしたことの無い奴だ。一言二言脅してやれば、すぐに尻尾を巻いて降参するだろう。
 流石に単騎だと登るのも早い、すぐに山頂付近まで駆け上がった鉄仮面は、ゆっくりとそのスピードを落とす。普通の旅人を装った方が、相手も襲いやすいだろう。
 馬が歩くスピードまで落ちると、鉄仮面は生い茂った木々の間にくまなく目を通す。今のところ、人影は特に見当たらない。だが、確かに姿を隠すには良い塩梅に、辺りには木々が生い茂っている。さらに、道は非常に狭まっており、三人も横に並べばつっかえる程だ。追いはぎからすれば、絶好の仕事場だろう。
「おい! おまえ!」
 突然の声に鉄仮面が辺りを振り返る。一瞬の出来事で分からなかったが、確かに誰かの声がした。
「そこの馬に乗っているお前だ! 止まれ!」
 まただ。どうやら、本当に追いはぎが居たらしい。
 鉄仮面は耳に神経を集中する。どうやら、近くに居る事はわかる。だが、まだそれが右か左かも分からない。
 もうすこし様子を見なければ。鉄仮面は謎の声の要求どおり、馬を止める。
「よし、それでいい! 良いか、痛い目にあいたくなかったら、大人しくお前さんの持ってる金目のもん其処においてきな!」
「…… お前が、この峠に出ると言う魔人か?」
「おう、そうよ。その魔人様よ。魔人に普通の奴がかなうわけねえのは分かってんだろ。さ、とっととその剣なり袋なり置いてきな」
 声の主が潜んでいそうな場所を探す鉄仮面。だが、どうにもその場所がどこか分からない。いや、分かってはいるのだが、其処には何も無いのだ。
 声のする場所、それは。鉄仮面の目の前、何も無い峠の道路のど真ん中なのだ。そこには、人も居なければ、物も無い。ただ日の光に映し出された、木々の陰が揺らめいているだけなのである。
「どうした! 早くしねえか! ぼこぼこにされてえのか!?」
 この声も、前から聞こえてくる。相手は魔法を使うのか。それとも、相手を使う仲間が居るのか?
 しかたない、少し危険だし逃げられるかもしれないが…… 鉄仮面は、馬から降りると剣を抜く。剣の腹で馬のしりを叩き、メイ達の居る方へ走らせると、その場に身構えた。
「…… なんのつもりだ、お前! 俺と、やるって言うのか!」
「あぁ、拙者としても一度魔人がどの程度のものか知っておきたいのでな。一つ、手合わせ願えないか? 追いはぎ魔人殿?」
「てめえ、馬鹿にしてんのか!?」
 怒気の篭った声が森一面に響く。森が揺れたかと思うと、鳥達が一斉に飛び立った。だが、鉄仮面にとっては恐怖というほどではない。あの竜との一戦と比べれば、今彼が肌で感じている緊張感など、ぬるいと言ったものもだ。
「喋るばかりでないで、実際に動いて見せたらどうだ! 魔人だったら、力ずくで奪えば良いだろ」
「……上等だ!! ぶっ飛ばしてやる!」
 来る! 右からか、それとも左からか! 鉄仮面の神経が、敵の一撃に備え全身澄み渡る。
 剣の切る空の音。方向は。
「上!? くそっ!」
 咄嗟、後ろにバックステップで逃げた鉄仮面。嘗て居た場所に、まるで岩石のような何かが舞い降りたかと思うや否や、大きな粉塵と共に大爆発を起こす。
 拳一個分ほどであろうか、めり込んだ地面の中心に立っていたのは、大きな体をした筋肉質のリザードマン。赤い体に大きな尾びれ。トカゲというよりはドラゴンのような顔をしたそいつは、菜切り包丁のような大きな剣を両手に持ち、こちらに向かってその一つを突きつけるように向ける。
「なるほど、木々に紛れて上に居たのか。道理で、横ばかり見ても気づかぬわけだ」
「良い反応じゃねえか! ちったぁ、楽しませてくれそうだ!」
「それは、どちらかというと、こちらの台詞だ……」
 体勢を立て直し剣を構えた鉄仮面。太陽の光の下、三つの剣が木々の合間で微かに光った。