竜の王と竜の姫 第十五話


 アルが大魔王としてエルフ領に立つ事を宣言した翌日、鉄仮面は慌しく旅支度をしていた。
 連れて行くのは、鉄仮面が手塩に育てたエルフの青年達数名。ブラウンの方針か、村民の多くは多少なりの武術の心得があったため、そこそこの調練を行う事ができた自慢の部下達だ。それに加えて、交渉役にメイ、道案内にフィルとクトゥラを加えての旅になる。
「鉄仮面! 鍛冶屋にあんたが頼んでたの届いたわよ。玄関に置いておくからね」
「おぉ、すまないメイ殿」
 頼んでおいたのは、大振りのバスタードソードだ。プレートのような大剣に、鍔の上辺りにぽっかりと穴を開け、その中に両手で振るえるよう第二の柄を通してある。これで全力で敵を切ることもできれば、片手で攻撃を防ぐ盾にもできる。
 だいたい旅に必要となりそうな物はつめ終えた。鉄仮面は腰にコンパスや地図などを詰め込んだ袋を巻きつけると、本棚に立てかけてあった予備のショートソードを肩にかけ部屋を出る。
 アルの居城の玄関を開けると、すでに何人かの部下達が集まっていた。元気良く挨拶をする彼らに混じって、フィルとクトゥラが挨拶をする。
「おはようございます、お兄様」
「おはようフィル。そして、クトゥラ。そういえば、傷はもう大丈夫なのか?」 
「えぇ、腕の良い魔法使いに回復魔法をかけて貰ってね、もう大丈夫よ」
 確かに、昨日あった大きな傷は殆ど無くなっている。小さな傷が少し残っているのが正直心配だが、彼女が大丈夫というのなら、大丈夫なのだろう。なにせ、空の覇者の竜族だ。それに、下手な心配で逆鱗に触れたくも無い。
「難民の受け入れといい本当に助かったわ。ありがとう鉄仮面」
「礼はアル様に言ってくれ、クトゥラ。それより、道案内よろしく頼むぞ二人とも」
「えぇ、任せて頂戴。空から見て異変があれば、すぐ伝えるわ」
「下の道は私が責任を持って案内します、お兄様」
「へ〜、お兄様ねぇ?」
 鉄仮面が振り向くと、そこにはなんとも意地悪そうな顔をしてニヤついているメイが居た。と、途端鉄仮面の仮面が熱くなる。
「誰かね鉄仮面君、この娘は。いったい、君とはどういう関係なんだね」
「いや、その、メイ殿。これはですなぁ」
「いやはや、まさか女の子に自分のことをお兄様とか呼ばせるような、そういう男だったとは。堅物のようなふりをして、実は君も随分と俗物じみた奴なんだねえ」
 ボッと自分の頬が沸き立つような感覚を覚える。と、同時に、恥ずかしさのあまり体は凍りついたように動かない。
 部下の前でそんなことを言わなくても良いだろうに。メイ殿は意地が悪い。
「違います! 別に拙者にはそういう趣味は無くて! フィル殿、そのメイ殿に説明を」
「えとえと。そのですね、お兄様はその私のお兄様に似ていまして……」
「? お兄様がお兄様に似ているのは当たり前だろ? だって、お兄様なんだから」
「あぁ! そうじゃなくて、鉄仮面様がお兄様で、お兄様が鉄仮面様……」
「フィル、混乱してるわ。少し落ち着いて」
 どうやら、フィルも鉄仮面と同じように恥ずかしくて取り乱しているらしい。ついには大爆笑をはじめたメイに向かい、鉄仮面はため息をついた。
「つまりですなぁ、フィル殿の実の兄上殿が着ていらっしゃる鎧と、拙者が良く似ているらしいのですよ」
「へえ、それで、お兄様って呼んでるってわけ」
「呼ばせてもらっているって言うのが、正しいです。すみません、お兄様」
 顔を真っ赤にして謝るフィル。どちらかと言うと、自分達の気持ちの問題なのだが、どうにも二人とも馴れるまでには時間がかかりそうだ。そういう面では二人は……
「ふーん。性格やからかわれた時の反応もそっくりだから、実の兄妹って感じだけどね」
 思っていた事をずばり言い当てられてしまった。また熱くなる頬をごまかすように、鉄仮面は振り返る。
 既に玄関前に、部下達は集合している。食料や馬の準備も済み、旅立ちの準備が万端であることを確認すると、鉄仮面は咳払いをした。
「いいか、皆の者良く聞け。我々はこれより、隣国の竜の国へ向かう。目的は、エルフ領に向かう難民の護衛だ。竜の国を襲った奴らの追撃などもあると思われる。だが、誇りあるエルフの民として、大魔王を名乗られたアル様の部下として、恥じぬように行動すること。よいな!」
 おぉと、鉄仮面の部下達が声を上げる。どうやら、士気は上々のようだ。鉄仮面は、メイのほうを振り返り、準備がよいか確認すると、剣を抜き号令をかけた。


 とっておいたちぃの作ったアップルパイをつつきながら、アルは深いため息をついた。
 エルフ領の筆頭として立つ事を了承したのは彼だが、不安でない事は無い。相手は、国一つをたった一人で制圧した魔人と魔女なのである、しかも瞬く間にだ。そんな奴を相手に、普通のエルフと自分だけでまともに戦う事ができるのか。
 おそらく、正面を切って戦う事はまず無理だ。となれば、魔人に対して互角に戦える人材を、局所的に配置し、雌雄を決するほか無い。
 まず、その人材を率いる人選として、鉄仮面、件の老婆。ブラウン、バルを鉄仮面につけ前衛とし、老婆にはノイとメイ、ウィンをつけて後衛にする。一方で、アルは魔人と正面から渡り合う。
 勝機はおそらく塔を砕いたあの攻撃。しかし、あれは、あの高い塔があったからこそ出来た技であり、平地ではおそらくあの大きさの刃を作り出す事は不可能だ。となると、遥か上空まで自分を飛ばす必要がある。天候が及ぼす影響も大きい。太陽が無ければ、影を作る事さえ難しい。
「苦しい戦いになりそうだぜ……」
 椅子にもたれかけ空を見上げる。この空はこんなに青い。この青い空があと一週間もせぬうちに、赤く炎と血の色に染まるかもしれないのだ。
 そんなことにはさせたくない。いや、させない。
 しかし、圧倒的な決戦力不足には違いなかった。竜族の王女をして、倒せなかった魔人を、はたして得体の知れぬ自分ごときで倒せるのか。もう一人、あと一人でも良い、仲間が居てくれればどんなに心強いか。
 コンコンとアルの部屋の入り口がなった。入ってきたのはノイだ。あの後、結局目を覚まさず、彼女だけはこの居城に残っていたのをアルは思い出した。
「おう、ノイ。調子はもう大丈夫か?」
「えぇ。大丈夫です。お手数をおかけしまして申し訳ありません」
 昨日と違い、覇気が無い。無理も無いだろう、この国の一番偉い―― 今は実質二番目に偉い人間にこっぴどく言われたのだ。結果、自分の思惑と大きく事は外れてしまっているのだ。
「いや〜 その、災難だったなノイ。まさか、こんな事になるとは俺様も思わなかった」
「災難などと言うことはありません。すべて自分が蒔いた種です、自業自得でしょう」
「…… でもよう、お前のやろうとしたことは、ごく真っ当なことだったと俺様は思うぞ。今の状況が特殊すぎるだけでさ」
「もう、その話は結構です。それより、ことの経緯は把握しました。既に魔法で代行に支持を出し、私の村と近隣村から何人かの兵をこちらに向かわせています」
 仕事の速い女だと関心も出来るが、やもすると意固地というか融通が利かないというか。どうにも、物腰の硬いところがあるなぁと、アルは不機嫌そうな報告をするノイを見ながら思う。きっと、仕事はできるが人付き合いは下手なのだろう。
 まぁ仕事の手際のよさはメイに通じるところがあるが、この性格の違いは何なんだろうな。髪の色や長さなどは違うが、顔つきとかスタイルとか服のセンスは似たような感じなのに。というか、見れば見るほど二人は良く似ている。
「聞いておられますか、アル様!?」
 ドスの利いた高い声が響く。はっと我に返ったアルがノイを見ると、恐ろしい剣幕でこちらを睨んでいる。どうやら、自分が色々考えているうちに、なにやら話をしていたようだ。
「え、えぇ。あ…… すまん、聞いてなかった」
「しっかりしてください。それで、この国を統べる者として勤まるとお思いか?」
「いや〜、すまんすまん。それより、聞きたいことがあるんだが?」
「? 何です? 私の村については先ほどお話した筈ですが」
 また、嫌みったらしくそんなことを言う。よくこんな事で、村長などが務まったものだ。もしくは、このエルフ領というのは極度の実力主義制なのだろう。それなら、ブラウンみたいなちゃらんぽらんが村長やっていたのも、剣の腕前とかから分かるような気がする。
「いや、村の事じゃなくてだな、お前の事だよ。お前メイの魔法の師匠だそうだけど、それだけじゃないだろ?」
「……」
「目つきやら肌の色やら、色々似てやがる。まぁ性格とかは育った環境もあるから、違うのは当たり前として…… お前、メイの血縁者だな?」
「…… それが貴方や国にとっていったいどれほど重要な事だと?」
「いや、全然? ただの興味本位で聞いてるだけ」
「なら、そういう無意味な発言はやめていただきたい!」
 言うや否やますます不機嫌になり、そっぽを向いて部屋を出て行こうとするノイ。影ゆえの身軽さを利用して、さっと入り口に回りこむと、アルはノイを通せんぼする。不機嫌そうに睨みつけるノイの青い瞳とアルの緑の目の光が一直線に結ばれる。
「いいじゃんかよ。それ聞かないと、俺様気になって夜眠れねえよ」
「悪趣味です。人にはプライバシーと言うものがですね」
「王様の命令だぞ? 逆らったら死刑だぞ?」
 いやまぁ、流石に死刑は冗談だが、実際気になるわけで。
「メイに聞けば良い。あの娘は私と違って、貴方を慕っている」
「別に、メイに聞いても良いのだが、今は鉄仮面と共に隣国に向かっているから、すぐには聞けないだろ。な、頼むよ」
 じっとこちらを睨みつけるノイ。結構美人な面構えなのだが、眉間にしわをよせてはそれも台無しだ。まぁ、こういう奴には強気に出るよりもふざけて出たほうが上策なわけで。
 少し、まじめな顔をしたかと思わせて、さっとふざけた顔で笑うアル。
 が、ノイの眉間の皺は取れない。
 しまった、はずしたか? などと思っていると、相変わらず不機嫌そうだが、はぁとため息をついて下を向いた。
「メイは私の姉の娘です。その縁で私が彼女に魔法を教えました」
「ほう、メイが姪ってわけか……」
「……」
 自分では面白い事を言ったつもりだったのだが、帰ってきたのは先ほどよりももっと眉間に皺を寄せた顔だった。
「まぁまぁ。そうか、それで、あんなにメイに肩入れしてたのか」
「あの娘は姉によく似て、聡明で魔法の才にも秀でています。平和な世なら、きっとこの国をより豊かな国に導いてくれると思い、私は魔法を教えてきたつもりです」
「立派に導いてくれてるじゃないか、今だって俺の補佐とかしてくれてるし」
「…… そうですね。そう思う事にしておきます」
 絶対にそう思ってなさそうな顔でそういうと、ノイはどいてくれと言わんばかりにドアノブを見る。アルはさっと横に退くと、ドアを開けてやった。
「ありがとうございます」
「いやいや、どういたしまして。しかしまぁ、そうか、おめえはメイの伯母さんだったのか。俺はてっきり、メイの母親かと思ってたぜ」
「やめてください、あの馬鹿が夫だと思うと虫唾が走る」
「ば、馬鹿って…… こりゃまた随分嫌ってるんだな、ブラウンの事」
「当然です、忌々しくて話すのもおぞましい……」
 これも何があったのかアルとしては知りたいところであったが、話し出すと随分長そうなので、やめておくことにした。というか、ブラウンにでも聞けば良いことだ。どうやら、一方的にブラウンの事をノイが嫌っているようだし。
「しかしまぁ、そうするとだ。お前さん、まだ未婚なのか?」
「そうですが?」
「あんな大きな姪が居るっていうのに…… まぁ、仕事一筋って感じだ物な、行き遅れても仕方ないか」
 きっと言い寄る男も今の様につっけんどんに相手してきたのだろう。もったいない話だ、性格以外は意外と良い線いっていると言うのに。
 なんてことを思っていたアルの頬を、強烈な衝撃が襲った。思わずその重さに、本来出るはずの無いアルがドアの外は廊下へと吹っ飛んでしまった。吹っ飛んだ方向を見ると、顔を真っ赤にしたノイが、顔の辺りに手を翳している。どうやら、ビンタと言うか張り手を喰らったらしい。
「エルフの寿命は長いんです、姉がたまたま早く結婚しただけで、私はまだ行きそびれなんて歳じゃありません!」
「え、あ、そうなの? ご、ごめん……」
「貴方は少しデリカシーと言う物を学んだらどうなんですか! まったく、不愉快です!」
 そういうと、ドシドシと女にあるまじき足音を立てて去っていくノイ。なんともまぁ、男まさりというか何と言うか。この様子だと、あと数年は落ち着く事は無いだろうなと、つぶやきながら、ふとアルは大切なことを思い出した。
「ノイ! ちょっと待ってくれ!」
「何ですか! また、くだらない事を言うんじゃないでしょうね!」
 申し訳なさそうに、ノイに近づくアル。未だ怒り覚めやらぬ彼女を前にして、大魔王でありながら少し恐怖を感じつつ、アルはニコリと笑う。
「いや、そのな。メイの奴が、旅に出ちまったから陳情聞いたり、書類に目を通す奴が居なくってよ。お前そういうの得意そうだから、もし時間あるようだったら、やってくれないか?」
 怒りの形相から一気に、あきれの形相に変わるノイ。へらへらと笑いながらも、アルはいつビンタが飛んでくる物かと内心びくびくしていた。
 まったく、なんとも情けない大魔王だ。