竜の王と竜の姫 第十三話


「おね〜ちゃん! ただいまぁ〜!」
 ドアを押し開けて飛び込んできたちぃ。仕事を終え、一段落にと外の景色を眺めていたメイは、振り返るとうれしそうにリンゴを抱えているちぃににっこりと笑いかけた。
「おかえり、ちぃちゃん。いっぱい取れた?」
 メイの思惑とは違い黙り込むちぃ。ちぃの事だから、「うん」と大きな声で元気な返事が返ってくると思ったのに。見ればぷくりとかわいくほっぺたを膨らまして、うつむいている。これは、何かあったのだろうか。
「さ、お姉ちゃん! アップルパイ作ろう、アップルパイ!」
 メイの質問をスルーしたのはともかく、元気にそういうとちぃはぴょんぴょんとドアの前で飛び跳ねる。
 そういえば、そういう約束もしていたっけか。
「はいはい。ちょっと待ってね」
 席から立つメイの後ろに回りこみ、はやくはやくと急かすちぃ。そんな姿に苦笑い混じりに微笑んで、メイはドアをくぐると調理場のほうへと向かった。
「そういえば、アル様も一緒に料理するとか、言ってなかったっけ?」
「ん〜、パァパはね、おばあちゃんとおねえちゃんと話があるから無理だって」
 おばあちゃん? おねえちゃん? はて、誰の事か。
 見当が付かないメイは、不思議そうにアルの部屋のある廊下の先を見つめた。


「どういうおつもりですか、最長老様…… 滅多に村にも現れない貴方が、こんな場所に現れるだなんて」
「ほほほ、まぁ、色々あってな。いちいち理由を説明しておっては、ちと長くなるでの」
 いきなり現れた老婆に、今までの態度を翻すように卑屈になるノイ。ただの、そこら辺に居そうなヨボヨボの老婆にだ。
 いったい、この老婆は何者なのだろうか。最長老というのは、このエルフの村の? すると、村長より最長老が偉いということなのだろうか。
「しかしまぁ、お前さんも偉くなったものだのう、ノイ。エルフの村の掟を曲げるまでの権力を、村長の決定が割れた際に、わしに判断を仰ぐという掟を忘れたとは言わせんぞ?」
「そ、それは…… しかし、この男はエルフでは……」
「だまらっしゃい!」
 ぞくり。自分の体が毛羽立つ感覚をアルは覚える。目の前の老婆のたった一声にだ。
 それは他の皆も同じだったらしい、あのふてぶてしいブラウン、竜にも臆さなかった鉄仮面もが、一瞬ビクリと、体を震わせたのだ。これは、この威圧感は、いったい何なのだろうか。そして、この威圧感こそがエルフ領の四大村長が、臆する理由なのだろうか。
 この老婆、いや、最長老はいったい。
 と、驚いているアルに、振り向いた老婆が微笑みかける。
「いやいや、アル様、ご面倒をおかけいたしました。どうも、この者たちがご無礼を働いたようで」
「いや、無礼も何も別に無いんだがな」
「おぉ何と寛大なお言葉、さすが大魔王様にございます。お前達、よかったのう、アル様は寛大なお心でお前さん達の無礼をお許しになってくれるそうじゃ」
 四大村長を前にして尊大にそういうと、老婆はおもむろにノイの髪をつかむ。その体格には似つかぬ、髪の毛を引っ張るという方法でノイをアルの前まで引っ張ってくると、今度はノイの頭を地面に押さえつけた。
「ほれ、謝らぬかノイ! 貴様は、恐れ多くも大魔王様に楯突いたのだぞ!」
 ぐりぐりと顔を画面にすりつけられるがままのノイ。これは、いくらなんでもやりすぎだ。
「ば、婆さん。やりすぎだ、やりすぎ!」
 たまらずアルが老婆を止め、ノイを救い出す。よほど強くこすり付けられたのか、青灰色の髪は土埃にまみれ、白かった肌は茶色く染まりところどころ擦り切れて血がにじんでいる。
 痛々しいその顔を拭おうとしたアルを振り払って、ノイは毅然と老婆を睨みつけ立ち上がる。
「納得がいきません! 最長老様! なぜ、こんな得体の知れない男の肩を持つんですか!」
「得体の知れないとは何を馬鹿な…… さっきから言っておるであろう、このお方は大魔王だと」
「そのような口車に乗せられて! この男が大魔王であるという証拠は、何処にあると言うのです! 言い伝えに聞き及ぶ大魔王の名はロゼ、この男の名はアルなのですよ! しかも、エルフの魔人であったというのに、この男はエルフとは……」
 ぞっと、また全身の毛が逆立つ気配をアルは感じた。見れば、先ほどまで雄弁を振るっていたノイが、身をすくめるようにして固まっている。そのノイに、ゆっくりと老婆が歩み寄る。
 老婆がノイを睨みつけた。人形の様に、まるで事切れるようにノイがその膝を地に落とす。
「確かに、この男が大魔王であるという証拠は無い。じゃが、間違いなく、このお方の娘であるちぃ様は大魔王ロゼ様の遺児。大魔王の傍仕えであったワシが言うのだから間違いない」
「し、しかし。だからといって!」
「大魔王の娘が父と呼ぶのだ。ならば、その男は大魔王に違いないであろう。分かったか、この南の村の小娘が!」
「あ、あ、あぁぁ……」
 老婆の一喝に、ばたりと倒れそうになったノイを、とっさにアルが肩を抱きかかえる。あまりの威圧感に、気を失ったようだ。無理も無い、見ているアルでさえ息を呑んだのだ。その恐怖は計り知れない物だっただろう。
 ぐったりとしたノイを腕に抱き、アルは老婆を見上げた。改めて見るとその皺くちゃの頬の中に、微かな古傷を見つけて、この老婆がかつて戦士であった事に気が付いた。
「ば、婆さん。あんた、本当に何者なんだ……」
「ほほほ。なに、ちいとばかし若いころに、ロゼ様に使えておったことがあってな」
 顔こそ穏やかだが、まったくもってその威圧感が緩んだ感じではない。
「そういうことじゃ、バルもウィンも分かったな」
「分かりました、最長老様」
 返事をする声もでないウィンは、かろうじて首を縦に振った。それで、やっと威圧感を収めた老婆は、改めてアルの方を向くと、もう一度微笑んだ。
「さて、アル様。ワシら、エルフの一族は、古くは大魔王ロゼ様に使え、この地に栄えた一族でございます」
「あ、あぁ。それは、承知している」
「今、大魔王のアル様がこの領地に戻られました。ひいては、アル様にこの地のエルフ達を統べる王として立っていただきとう存じ上げます」
 あまりの突拍子の無い提案に、アルの意識が一瞬飛ぶ。
 今、この老婆はなんと言ったのだ。いや、確かに聞いた、このエルフ領の王として立てと言ったのだ、この老婆は。しかし、何故だ。これは、俺様が西の村の村長になるための話し合いでは無かったのか。
 アルだけではない、この場に居る誰もが老婆の発言に目を疑っている。唯一、確固たる自信を持って立っているのは、そう老婆だけだ。
「ちょっとまて、いきなり話が飛びすぎてる! 俺は、西の村の……」
「アル様、ことは一刻を争う事態となっております! 今、エルフ領の領民を一つに纏め上げ、正しき道に導いていけるのは、おそらく貴方様だけです」
「俺じゃなくても、あんたがまとめれば!」
「ワシでも、ノイでも、ブラウンでも、メイでも勤まりませぬ。これは、天意なのです。ちぃ様をその手中に収めた、アル様、貴方しか出来ない事なのです……」
 確固たる信念をもって譲らない老婆。
 唐突と突きつけられた、エルフ領の王の椅子。裏づけされた、大魔王という己。
 何を戸惑う事があるのだ。出て行けと言われれば出て行き、王になれと言われればなるのか。そんなことは、俺様にとってどうでも良いことではないか。
 固まりかけた思考が氷解する。と、共に、アルは高らかに笑い出した。
「出て行けといわれた矢先に、王になれか…… まったく、虫のいい話だな」
「運命とは時に過酷でございます。こと、覇道を行かれるアル様においては、安らぎの日はまだ先です。今は、何も言わず、我らを統べる物として立ってくれませぬか」
「覇道を行くも行かないも、決めるのは俺様だ。お前に決められる筋合いは無い!」
「お、おい。アル」
 仲裁しようと間に入ろうとしたブラウンを手で制する。アルは床にやさしくノイを寝かせると、立ち上がり、老婆へと歩み寄った。
「話してみろ、俺様が覇道を歩まねばならない理由を! エルフ領の王として立たなければならない、理由を! ことと場合によっては、歩んでやろうじゃないか、その覇道って奴を!」
 にやりと笑う老婆。企みがうまく言ったという風ではない、まるで安心するかのようなその笑い。
 かしりと音を立てて膝をつき、老婆はアルに頭をたれた。
「ご無礼をお許しください、大魔王様。して、話はそこの娘に聞いたほうが早いかと思われます」
 老婆の指差す方向に視線を向ける。そこに、アルの部屋の入り口に立っていたのは、甲冑に身を包んだ小柄な少女だった。