竜の王と竜の姫 第七話


 驚く間も与えず、少女は鉄仮面の腕の中に飛び込むと、胴回りにそのか細い腕を絡み付ける。鎧の下から覗かせたその体は、まさしく少女。鎧よりも、ドレスのほうがどれほど似合うだろうか。
 そんな少女が自分の体をぎゅっと抱きしめているのだ。鎧だけの身の上とはいえ、心は男。嬉しくないわけが無い。
「あぁ、お兄様! すみません! フィルが、フィルが不甲斐ないばかりに、こんなことになってしまって」
「い、いや。不甲斐ないだなんて、そんな…… ん?」
 はと、鉄仮面は我に返った。そうではない。考えるべきことは、そんなことではないのだ。
 今、この少女に自分はなんと呼ばれた。
 そう、この少女は自分を兄と呼んだのだ。
 記憶が無く、己が何者であるかも分からない自分を、一目見て兄と呼び、二言目には抱きついてきたのだ。なんの戸惑いも無く、無防備に。
「兄? 拙者が貴殿の?」
 自分がなくした記憶をこの少女がもっているというのなら、確かめずにはいられない。
 抱きついていたフィルをそっと離すと、自分を指差し確認する鉄仮面。一方でフィルは、急に引き離されてぽかんと鉄仮面の顔を見つめていた。困惑に満ちた兄と思しきものの顔がよほど珍しいのだろうか。
 と、鉄仮面がかんぐったそばから、何を思ったか、フィルはくすくすと笑いだす。いまや鉄仮面の表情は困惑のきわみだ。
「まぁ、お兄様、そんな洒落を言うだなんて。いったいどう言った風のふきまわしです? らしくないですよ」
「い、いや、洒落と言うか。その、何か勘違いをしていないか? 拙者には、貴殿のような身内はいない…… と思うのだが」
「私が、お兄様の顔を忘れるわけ無いじゃないですか。それに、その鎧。仮面をつけていても分かります。世界で唯一の鎧、神代の聖鎧。それを着けていらっしゃるのは、人間界・魔界を数えても、お兄様だけですわ」
 神代? 聖鎧? 実態の伴わない鉄仮面の脳みそに無い単語の連呼で、ついには表情が固まった鉄仮面。それに助け舟を出すかのように、ふぅとため息をついてクトゥラがフィルに話しかける。
「それが、そうでもないらしいのよ、フィル」
「クトゥラ? 起きてて大丈夫なの?」
「えぇ、ちょっとくらいならね。それより、フィル。その方はアース様じゃないわ。よく見ると、確かに形は聖鎧だけども、アース様のと違って色が黒色よ」
「え? あ、そう言われれば、確かにそんな気がしないでも……」
 そう言ってもう一度鉄仮面の顔を見上げるフィル。
 あくまで絡めた手は離さないらしい。銀色の眉が、なんとも怪訝そうに曲がる。
 しかしまぁ、あれだ。抱き疲れるのも緊張するが、こうやって面と向かって女の子から見つめられるというのも、それはそれで緊張するものがある。さっきも言ったが、体は無いにせよ自分は男なのである。このような目にあって、緊張しないわけが無い。もし心臓があるならば、今にも張り裂けんばかりに鼓動しているだろう、と鉄仮面はたじろぐ。
 そんな彼の顔にすっとフィルの手が伸びる。
「! な、何をするのですか?」
「顔を確かめさせて頂きます、お兄様!」
 言うや否や両手で鉄仮面の兜と仮面を、鎧の胴体部から引き抜くフィル。その愛らしい目がこちらを、というよりも、鉄仮面の首があったほうを見据える。
 唖然とした表情のフィル。無理もない、あるはずのものがそこには無いのだ。はじめから無かった鉄仮面からしてみれば、驚くことでもなんでもないが、鎧が中身もなしに動くというのはこっけい・恐怖以外の何者でもないのだろう。
 なんてことを思いながら、鉄仮面は掲げられたフィルの腕の中でため息をつく。
 どうやら、人違いとはこういうことらしい。
「そのお兄様とやらは、どうやら拙者と同じ鎧を着ているということなのですな、クトゥラ殿」
「えぇ、そういうこと。あなたの顔をよく見るまで。といよりも、実際に近づいて色の違いが分かるまでは、私も勘違いしてたのよ」
 直接聞いたほうが速いというのはそういうことか。確かに、回りくどい説明を受けるよりも、随分すんなりと理解できた。
 この世には自分に似たものが3人はいると聞き及ぶが、その1人とこの竜達は知り合で、勘違いして自分を見ていたというわけだ。
「なるほど、よく分かった…… それで、フィル殿?」
「え、あ、はい!」
「そろそろ、首を元の位置に戻していただけるとありがたいのだが」
「す、すみません! わ、私、とんだご無礼を!」
 そう言って力強く鉄仮面の頭を胴体にねじ込むフィル。一歩後ろに下がると、恥ずかしそうにもじもじと下を向いた。
 もちろんただの勘違いをとやかく言うつもりは無い。なにより、断片的な話を聞くところ、どうやら訳ありの様子。ここはとりあえず、落ち着いてもらって、現状を話してもらうのが先だろう。
 そうして、取り乱すフィルを宥めながら、鉄仮面はどうにもその自分とそっくりな鎧を着た男というのがどういう男なのか、気になって仕方が無かった。