「人間の倫理を備えたアリクイは、人なのか、アリクイなのか」


 例えばだ。アリクイが人間の倫理を備えたら、それは人間なのだろうか。
 アリクイはアリを食べる、たが、人間はアリを食べない。アリクイの倫理で言えばアリを食べることは生存本能であり、人間の倫理で言えば、アリを食べることは必要性の感じられない異常な行動でしかない。あるいは、珍味としてアリを食べる風習が、地球上のどこかにはあるかもしれないが、俺達が所属している社会の多くで、それは非人間的な行動と捉えられるだろう。
 では、人間の倫理を備えたアリクイは、アリを食べるのを止めるのだろうか。アリクイが本能としてもつ、アリを食べるという生存活動を、彼女は抑え込むことができるのだろうか。それは人間にとって、豚や牛を食べるようなものなのかが問題だ。ベジタリアンの様に、肉を食べたいという欲求を自分の中から追い出して、野菜だけで生きている人間だって居るのだ。しかしながら、それが肉や野菜と違うものだったら。例えば、パンやごはん。あるいはビール。いや、どれも個人の嗜好が強すぎる。ならば、人間に限られたことではないが、水、なんかがそうだろうか。取らずには生きて行けない、食欲とは分離された、本能に属する摂取欲求に、アリクイははたして抗うことができるのか。ただでさえ、アリクイの口は細い。巣の中の蟻を喰らうのにあの口は便利だろうが、肉を食べたり、草を食むには不便だろう。
 そして、そこに肉体的所属が加わってくる。比較的差異を許容する人間と言う種族でさえ、時に身体的な特徴や、精神的な拠り所、連綿と自分へと続く血の繋がりで差別される。あるいは自らを何かの所属にあてはめ、差別する。そうすることで俺達は、一人ではないという安堵感を得る。そして、仲間という後ろ盾を持つ。そして、一度その所属から飛び出してしまった人間を待っているのは、迫害と、孤独である。アリクイの社会システムがどんなものか、人間の俺には分からないが、二十世紀も越えて男だ女だとくだらない事を言っている、野蛮な人間世界のシステムと大した差などないだろう。
 人間の倫理を備えたアリクイは、人間になろうとするだろう。そして、人間からも阻害され、アリクイからも阻害され、自らの本能からも否定され、最後に、人間でもアリクイでもない、何者かに至る、至ってしまったのだ。
「彼女は人間らし過ぎた。きっと、成り代わった対象が悪かったのね。ままある話よ、人間らしい味噌舐め星人が産まれるなんてことは。けれど、大半が自らの愚かさと数の暴力に負けて、自らの性分を理解するものだわ」
「それが、彼女だけは違ったっていうのか。そんなの知るかよ、味噌舐め星人がどんな生き物か、なんて、図書館の眉唾な資料で読んだくらいなんだから。それにも載ってない情報をどうやって察しろって言うんだ」
「察しろなんて言っていない。ただ、知ってほしいだけだ、今からでも」
 知った所でどうなるというのだ。今や、彼女はもういないというのに。あれから随分と時が経った。以来、一度だって俺の前に顔を現さない、そんな彼女の事を知った所で、今更どうなるというのだ。きっと何処かで野垂れ
「あの娘は生きている。そして、もうすぐお前はあの娘と出会うだろう。だから、お前は知らなくてはいけない。あの娘が何者なのかを」