「僕の甘味の少ない幸せな青春その二十八」


 カメラが回り始めると、観鈴の眼ががらりと変わった。家族との団欒の時間を素直に楽しんでいた彼女は、その顔の中には見当たらない。一見して無邪気にはしゃいでいながらも、それは全て彼女の演技。計算しつくされた可愛らしい物語の主人公の女の子。なんだかこうコロコロと表情を替えられると少し不気味だな。僕はゆっくりこちらに向かってくる観鈴の顔を眺めながら、そんなことを思っていた。実の妹に対して不気味だなんて、酷い兄だよまったく。そんな酷い兄と偽物の姉の前に、観鈴はすきっぷでやってきた。
「わぁ、可愛いワンちゃん。こんにちわー、お散歩ですかー」
 僕達と顔を合わせた観鈴は、そういうと座り込んでコロ太に声をかけた。いつも彼女がコロ太をあやす時にするように、そのふさふさとした毛の生えそろっている顎を撫でてやると、コロ太は擽ったそうにぶるりと身もだえしてピンク色の舌を出した。はっはっは、と、興奮した感じに彼は息をするとぺろぺろと観鈴の腕を舐める。やだ、くすぐったいよ、もうっと、観鈴
「ほら、お兄さん、喋って喋って。妹が頑張ってるのに、なに黙ってんの」
 酔っぱらった監督がこちらに向かって怒鳴るでもなくぼやくでもなく言った。映像に声が入っても良いのだろうか。今の技術なら監督の声だけを抜き出すことも可能なのか。いや、できなくはないだろうが、おそらくそんな加工を施せるほど、予算がある番組とは僕には思えないし見えない。
 おそらく本気で酔っているのだ。やれやれ、本当にもう、しようのない監督だな。指示にしても、もの凄く適当だし。これで良いのか本当に。
「えー、あー、お嬢ちゃん、可愛いね。どうしたのかな?」
「なに言ってるんですかお兄さん。ミーちゃんにじゃないですか。そんな他人みたいに。まさか、ミーちゃんの事まで忘れちゃったん、いたぁっ」
 なんで打つんですか。涙目で僕に訴えかける味噌舐め星人。何も考えずに怒鳴ってくるよりはよっぽどましだが、もう少し空気を読んでくれ。今、お前が待ちに待ったドラマの撮影中だというのは、分かっているのだろう。
「ちょっとちょっとー、駄目だよーそんな喋り方、なってないよー。そんな話しかけ方するのは変質者くらいだよ。もうちょっと自然な会話をしてよ。それと、一応君達カップルなんだから、仲良くする、仲良く、ねっ!!」
「いや、あんた、そんなこと今更言われても。しかも、変質者って酷いな」
 確かに言われてみると、自然な感じではなかったけれど。いきなりぶっつけ本番で、そんなほいほいと言葉が出てくるわけないじゃないか。
 素人のこっちの身にもなってくれよ。抗議しようかと思った時、味噌舐め星人が僕に先んじて前に出た。僕に代わって文句を言ってくれるのか。流石はどん引きするほどのクレーマー女だ。今日ほどお前を頼りに思ったことはないよ。頑張れ、と、僕は味噌舐め星人の肩に機体の眼差しを送った。
「こんにちわー。ワンちゃん好きなのかな?」
 しかし、僕の期待に反して、味噌舐め星人はこれ以上なく自然な感じで観鈴に声をかけた。どうやら、今がどういう場なのか察してくれたらしい。そして、どういう台詞を言えば自然なのか、僕よりよく察してくれたらしい。