「僕の甘味の少ない幸せな青春その二十五」


 観鈴の出演しているドラマの現場は、多くの立ち見客で囲まれていた。大したことはない地方のドラマのはずだったが、どうしたことだろうか。気になって人ごみをかけ分けて前に出てみると、その理由が分かった。一昔前に一世を風靡した人気男優が、そこにはお洒落なスーツ姿で立っていた。
「皆さんキャーキャー言ってますね。人の手に噛みつく大きな犬でもでたんですかね。はっ、もしかして、ゴロ太を見て、皆さん怖がっているんじゃ」
「やっぱり危険ですってか。お前もいい加減しつこいな。あれだよあれ、真ん中になっている男前が居るだろ。あの男が、皆、お目当てで来てるんだ」
 いけめん、いけめんってなんですか、と、味噌舐め星人が尋ねる。返答に窮した僕は、まぁ、僕とは正反対の奴だよと彼女に言った。すると、なんだか妙に納得した顔をして、確かにそれならキャーキャー言うのも分かりますと、真顔で言った。悪かったな、キャーキャー言われない顔をしていて。
 カット、と、監督が叫んだ。これから一時間程昼休みですと、隣に立っていたADと思しき冴えない風体の男が叫ぶと、イケメン男優は僕達オーディエンスの方へと向かってきた。撮影現場を隔ていている黒と黄色のロープを越えて、イケメン男優に殺到する老若の女達。あっという間に、彼のサイン会と化してしまった撮影現場を横目に、僕と味噌舐め星人は監督たちの消えた、白い屋根のテントの方へと向かった。先程、撮影現場にミリンちゃんの姿はなかった。ということは、待機所にいるということなのだろう。
「あー、こらこら、駄目だよ君達。ここは役者さんや監督さん達の待機所なんだから。一般人の人が入ったりしたら駄目でしょ。サイン欲しい気持ちは分かるけどもさ、そこはほら、ロープも引いてあることだし、察してよ」
「違います。私達はミーちゃんに頼まれて、ゴロゴロを連れてきたんです」
 は、なんだよゴロゴロってという顔をする、僕達を止めたADらしき男。するとその後ろからひょっこりと見知った顔が顔を出した。観鈴だ。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、コロ太さん。やっと来てくれたのですか。待ちくたびれたのです。ささっ、中に入っちゃってくださいなのです。冷たい麦茶とお弁当があるのです。一緒に食べましょう、食べましょう」
 Adを押しのけると、僕と味噌舐め星人の腕を引っ張って、テントの中へと引き込もうとするミリンちゃん。ちょっとちょっと、と止めようとするADを、テントから出てきた貫録のある男が止めた。このドラマの監督だ。
観鈴さんのお兄さんとお姉さんだね、初めまして。私、今回のドラマの監督をやらせてもらってる、大木です。御園さんには、ドラマのエキストラを派遣して貰ったり、いつもお世話になっています。観鈴ちゃんにもね」
「いえいえ、いつも何かと使ってくれてありがとうございますなのです、監督。これからも、脇役でも良いから使ってください、なのです」
 セールストークが上手いねと観鈴の頭を撫でる監督。なにやら、物腰穏やかで、フレンドリーでとても良い人じゃないか。こういう人の下で仕事できるのは幸せだろう。もっともその人が良すぎるせいで、いつまでたっても、地方ドラマくらいしか撮らせてもらっていないのかもしれないが。