「僕の甘味の少ない幸せな青春その六」


「だから、ふざけてなんていません。お兄さん、お兄さんは私のことを忘れてしまったんですか。あんなに仲良くしてたのに。お兄さん、もしかして、私のこと嫌いになっちゃったんですか。嫌いになったんですか」
「あぁ、嫌いだよ、お前の事なんて。なんで見ず知らずの女のことを、いきなり好きにならなくちゃいけないんだ。だいたいだ、あんなに仲良くしていたのだって。じゃあなんでお前は僕の事を、お兄さんなんて他人行儀な呼び方で言うんだ。お前は俺の妹なんだろう。奇跡的に死から蘇った詩瑠なんだろう。だったら、詩瑠は俺の事をお兄さんだなんて呼ばない」
 それはその、と、偽物の詩瑠は明らかに動揺して目を泳がせた。次に彼女が何と言ってきても、俺はその言葉を信じるつもりはなかった。
「違うんです。お兄さん、違うんです。信じてください、私は貴方の妹なんです。妹なんです。お願いですから、妹なんだって、認めてください」
「嫌だね。寄ってたかって人の事をからかいやがって、お前らの趣味の悪い奇行に付き合えるほど、俺はお人よしでも馬鹿でもないんだ。どうしても俺に自分が詩瑠だと信じて欲しいなら。もう少し、信じられる努力をしろ。お前からはそれすらも感じられない。そんな奴をどうして認められるんだ」
 強い口調でまくしたてるように言いつけると、たちまち偽物の詩瑠は涙目になって縮こまった。泣いたら許してもらえるとでも思っているのか。ドッキリカメラだって、驚かした相手にそれなりにギャラは払うのだ、ごめんなさいの一言で今回の一件を水に流すには、余りに事態は深刻だった。
「とにかく、お前はこの部屋に居ちゃいけない人間だ、出て行ってくれ」
 これ以上怒鳴って彼女に泣きわめかれても、それはそれで近所迷惑だ。親父やお袋に関しては、彼女の事を実の娘と信じて疑っていない。なので、家の中には居ても良いが、それでも俺の部屋とこの詩瑠の部屋には入ってくれるな。そう言づけると、俺は詩瑠の偽物を部屋から追い出した。
 五月蠅い奴が居なくなったことで、再びシックな気持ちになった僕は、詩瑠のベッドに腰掛けてふうとため息を吐いた。やれやれ、まさか、こんな事になるとは思わなかった。まさか、あの女が、家にまでやってくるなんて。まさかこれから俺たちと一緒に暮らすことになるのか。いや、そんな馬鹿な話があるだろうか。けど、しかし、彼女が妹だいう設定ならば、奇跡的に快癒した今、彼女の居場所は病院ではなく、家へとシフトすることだろう。
 どうしようかな、と、考えてみるものの、良い案は思いつかなかった。せいぜい、心無く思われても、彼女の事を無視するくらいか。騙されこそしたが、彼女に直接の恨みなぞがある訳でもない。イラつく奴だし、生意気な奴だ。もちろん気にはいらないけれど、泣かす事には少なからず抵抗がある。
 そもそも、彼女はいったい何者なのか。親父が連れてきた事務所の売れない芸人か。それとも孤児院から引き取ってきた子か。それともそれとも、俺の従姉妹か。従姉妹なら、俺のことをお兄さんと呼ぶのも納得できる、が、俺にはそんな胸のときめくような間柄の知り合いは、居た事がない。
 分からない。あの女も、あの女を親父たちが連れてきた意味も。