「僕の甘味の少ない幸せな青春その五」


 傷心の俺たちにも朝はいつものようにやってきた。詩瑠の残り香が染みついたベッドの上で目覚めた僕は、カーテンから差し込む光を手で遮って体を起こすと、窓の方へと歩いてその光を部屋中に引き込んだ。
 照らし出される妹の部屋。コロ太が居たとはいえ、詩瑠が入院してからろくに使われていない部屋である、光を引き込めば、埃が溜まっているのが目立って見えた。やれやれ、これは一度掃除をした方が良いかもしれない。そう思って、僕はベッドの方を振り向いて、異様な光景に目を剥いた。
 そこに寝ていたのは、コロ太ではなかった。どこに消えてしまったのか、忠義な僕と詩瑠の飼い犬は、ベッドの上から姿を消して、代わりに偽物の妹がそこには眠っていた。しかもだ、呑気に鼻提灯なんか作ってだ。
 なんでこいつがこんな所で寝ているんだ。しかもこんなリラックスした、気の抜けた表情で。ここはお前の部屋だってか。お前の住んでる家だってのか。違うだろう、ここは詩瑠の部屋だ。詩瑠の家だ。得体の知らない、お前なんかが居ていいはずがないだろう、居ていいはずがないのだ。
「おい、起きろよ、起きろ。お前、ここでなにしてるんだよ」
 僕は強く彼女の肩を揺すった。淡い色合いをしたパジャマの上から、その肩を握りつぶすように、強く、力を込めて。しかしながら、どれだけ揺すってみても、どれだけ力を込めてその肩を掴んでみても、彼女は気づいてくれなかった。なんて鈍感なんだろうかと、思わず呆れてしまう。
 とりあえず今のままの方法を続けたのでは、彼女は決して起きないであろうことは予想できた。いっそ、一発頭に強いパンチでも叩き込んでやろうかとも思ったが、幾ら気に食わない奴とは言っても女は女である。手を挙げるなんてことはできることならしたくはない。フェミニストなんて大層な物ではないが、女子供に平気で手を挙げれるほど、愚かな男ではありたくない。
 しかし物理的な干渉が無意味ならば、どうすれば彼女は起きるのか。特にこれといった名案は思い付かず、僕が試案に暮れていると、うぅんと、彼女が小さく声を漏らす。次の瞬間にはゆっくりと彼女の瞼が上がった。
「あっ、あっ、お兄さん、おはようございます」
「お、おはよう。じゃない、誰がお兄さんだ。ふざけるのはやめろ」
「ふざけてません、ふざけてませんよ。ふざけているのは、お兄さんのほうじゃないですか。私のベッドで勝手に寝たりして。ちょっとびっくりしたんですからね、どこで寝ようかと不安になったんですからね」
 それは、悪い事をしてしまった。彼女のベッドで、僕が寝てしまったことで、彼女にそんな迷惑がかかっていたとは。いや、いやいや、違う。
 そもそもこのベッドは彼女の物ではない。何度も何度も、言わせてくれるな。お前は詩瑠じゃないだろうが。ここは詩瑠の部屋であって、お前の部屋ではない。このベッドは詩瑠のベッドであってお前のベッドではない。
 あまりにしつこく繰り返される心無い悪戯に、僕の心も流石に折れた
「もういい加減にしてくれ。お前は、いったい、何がしたいんだ。詩瑠の真似事なんかして何が目的なんだ。答えろ、答えろよ、この野郎!!」