「味噌舐め星人の留守番」


 雅のバイトは八時には終わるはずだったが、九時になっても十時になっても帰ってくる気配なかった。田舎にしかないこじんまりとしたスーパーだ。大型ショッピングセンターの四分の一もない、二階だってないスーパーで、いったい彼女はどれだけ仕事をしているというのだろう。何か事件にでも巻き込まれたのだろうか。とろくさい彼女の事だ、十分にありえる。ガラの悪い男たちに絡まれでもしたら、きっと逆らう事も出来ずに路地裏に連れ込まれるに違いない。そんな酷い状況に彼女が陥っているとは思いたくない。酷い扱い方をしてはいるが、人並みに独占欲はある。彼女の身を案じて、俺は携帯電話をポケットから取り出すと、滅多にかけない彼女の番号に電話を入れた。耳元で鳴り響く電子音。頭に痛いその音が止ることはなかった。
 結局、俺は彼女と連絡を取るのを諦めて、テレビの電源を入れた。特に見たい番組もなく、暇をつぶせる番組もない。NHKでニュースでも見るしかないなと、チャンネルを替えれば、ちょうどドラマの時間だった。朝の連続テレビ小説と、大河ドラマのクオリティは高いくせに、どうしてこう、ゴールデンタイムにやっているドラマは面白みに欠けるのか。サラリーマンNEOでもやっていれば、セクシー部長くらいは見れた物だが、それもない。
 いよいよ何もすることがなくなって。自分の部屋に戻ってとっとと寝てしまおうと思ったその時、何気なく代えてみた番組の上端に、テロップが光った。脱線事故につき、近所の駅を含む一部の区間の電車が止まっているのだという。なるほど、これのせいで雅の奴は帰ってこれなくなったのか。
 少しばかり気が晴れた俺は、テレビを消して、リビングの灯りを消して、暗い廊下を渡って自分の部屋に入った。明滅する天井の蛍光灯、その下で本棚からお気に入りの小説を一つ抜き出すと、俺は布団の上に寝転がった。眠くなるには、佐東匡の小説が持って来いだ。メジャーレーベルを追い出されて、文壇も追い出されて、最後に残った同人の世界でも、徐々に忘れ去られようとしている佐東匡は、今、最高に脂がのっている状態だった。長い孤独と不遇が、彼の中に元からあった孤独感や絶望感に、真実めいた迫力を与えていた。セリフの中に無意識に仕込まれた棘に、俺は何度刺されただろう。
 すぐに眠るつもりが、結局一時間ほど小説を読みふけった俺は、ふと、喉に渇きを覚えて布団の上から起き上がった。再び暗いリビングに戻ると、そのまあまキッチンへと向かい、冷蔵庫の扉を開けて中から牛乳を取り出す。できればコーラだとかスポーツ飲料だとか、そういう物を口にしたい所だけれども、無い物は無いのだから仕方ない。粘っこい牛乳を無理やり胃の中へと流し込むと、俺は蛇口を捻って水を出した。牛乳を濯いで水きり場の上に置く。水を飲んでおけば良かったかもしれない。そんなことを思いながら、キッチンを後にした俺は、ふと、何か面白い番組でもやっていないものかなと、テーブルの上のリモコンを拾い上げると、テレビの電源を入れた。
 脱線事故の映像が流れていた。それは俺が思っていた以上に酷い事故だったらしく、既にニュースの時間は過ぎているというのに、日付も超えた深夜だというのに、生中継で黒雲が立ち上る電車を映し出していた。