「僕の不幸せな青少年時代 その三十一」


 そうして、詩瑠は無事に試験に合格した。大学検定機構からの合格通知は彼女が死んだ次の日に、僕の家のポストに放り込まれていた。もう少し、あと少し、この通知が来るのが早かったなら、もう一日、あと一日、彼女は生きられたのではないだろうか。そういう想いがこみあげてきて、僕は妹が死んでから初めて声を出して泣いた。初めて誰かの為に泣いた。
 詩瑠は年を越えることなく死んでしまった。大学検定機構の試験を受けた日の夜から、急に体調を崩し始めて、それから二週間で彼女の体は限界を迎えた。足が動かなくなり、腕が上がらなくなり、髪の毛の色素が完全に抜けきり、目が白濁して失明し、そして、最後には紫色になった唇が空気を吸い込むこともできなくなり、蝋人形の様に固まって詩瑠は死んでしまった。
 僕は彼女が徐々に彼女ではないモノに変わって行くのを、ただ黙って見続けた。見続けることしかできなかったし、目を逸らすこともできなかった。もし奇跡が起こせるのなら起こしただろう。やがて訪れるであろう終了の瞬間、それが本当に訪れた時、僕の存在はあまりにちっぽけだった。詩瑠の気休めにだって満足になれやしない、そんな自分に呆れることすらできないほど、詩瑠の死は僕に襲い掛かって、散々に凌辱してくれたのだった。
「お、にい、ちゃん。あり、が、とう、ね。私、は、おにい、ちゃん、や、みぃ、ちゃん、と、一緒、に、いら、れて、たの、し、かった、よ」
 僕の手を握りしめながら、詩瑠は最後に力を振り絞ってそう言った。息も絶え絶えだった。僕は虚ろな目で天井を見つめる彼女の耳元に、唇を寄せると、俺も詩瑠と一緒に居られて楽しかったよ、と、慰めた。
 最後の最後で力を振り絞って、精一杯笑って死んでいく詩瑠。残される者の為に笑って死んでいく、最後まで優しい詩瑠。僕の大切な妹、かけがえのない妹、愛しい妹、哀れな妹。巨大な喪失感が、涙を堰き止めたが、嗚咽だけは止まらなかった。取り乱しに取り乱して、詩瑠が死んで一時間後に駆けつけた父と母に、無理やり彼女から引き離されると、今日はもういいからお前は寝なさいと、僕はタクシーで自宅へと送り付けられたのだった。
 死のうと思った。彼女の避けられない死にぶら下がって、僕も死んでしまおうと思った。別に生きていたって、僕の様な奴はどうしようもないのだ。大学受験には失敗し、友達も彼女もろくに作れない。この先、僕がこの社会に存在する意味がないというなら、ただ、詩瑠の良きお兄ちゃんである為に死ぬのも悪くないかもしれない。そんな風に思った。
 しかし、大学検定試験の合格通知が来た時、最後まで詩瑠が生きるつもりだったということを知った時、僕は、そんな逃避に意味がない、という事を知った。彼女は最後まで生きようとしたのだ、あんな絶望的な状況の中でもあきらめず、ただただ純粋に一直線に、自分の望む幸せを見据えて。
 僕も、生きなくては、妹の為に僕が無様に生きることが、なによりも彼女に対する供養になるかと、彼女が生きていた意味になる様に思えた。
 その日の朝、合格通知を手に僕は冷たい詩瑠の待つ病院へと向かった。
「あっ、あっ、お兄さん、お兄さん、遅いですよ、来るのが遅いです」