「僕の不幸せな青少年時代 その三十」


「妊娠が進むにつれて私の中で色々な不安が広がっていったわ。この子の事をどう両親に納得して貰えばいいのか。両親の眼を誤魔化すために一人暮らしするにしても、生活費をどうすれば良いのか。こんな孕み腹で仕事なんてできるのか。そもそも、大学にだって通いたいし、片親ということで、この子の将来を縛りたくない。自分では自分の事を強い人間だと思っていたけれど、いざこういう状態になると不安に押し負けそうになる自分が居たわ」
 自嘲するように笑うと、彼女は自分のお腹を撫でた。そして僕のゆっくりと方を向いて、もう言わなくても分かるわよねという視線を投げかけた。
 分かるともさ。それが恐らく、君にとっても、彼にとっても、お腹の中の子供にとっても、君の家族や周りの人間にとっても、幸せな選択だろう。その選択に関して文句の付けどころなんてありはしない。ただ、僕を少し複雑な気分にさせるくらいさ。君とはもう何も関係のない赤の他人の僕をね。
「ごめんなさいね。君にこんな事を言っても、どうにもなりはしないのに」
「いや、聞けて良かったよ。僕としても、君があの後どうなったのか、気にはなっていたんだ。それに、君が幸せならば、僕としても嬉しいよ。結婚おめでとう。柄でもないけれども、その旦那さんと、子供と、仲良くね」
 本当、柄でもないわね、と、彼女は笑うと、僕から一歩距離を置いた。それで話は終わったのだろう。僕と彼女は再び赤の他人に戻り、学食の受け取り口に並ぶ人達となった。やがて数分もしないうちに、僕の番が回って来ると、僕はきつねうどんを受け取って振り向いた。相変わらず涼しい顔をした彼女の顔が見えた。その肩越しに、僕達を見つめる詩瑠の姿が見えた。
「ねぇ、お兄ちゃん、あの妊婦さんと知り合いなの?」
 テーブルに戻った僕に、詩瑠は突然尋ねてきた。こういう時には、まず、買ってきてくれたことを感謝することの多い詩瑠が、今日に限って彼女について僕に尋ねてくるというのは、充分に僕を動揺させてくれた。知らないよと、しらを切っても、巻の良い詩瑠には分かってしまうのかもしれない。
「予備校時代の知り合いさ。同級生と結婚したんだって。あんなお腹していたから、最初、誰だかさっぱり分からなくってさ、笑われちゃったよ」
「そうよね。妊娠してたら、分からなくもなるわよね。けど、ふぅん、凄いね若いのに。ちょっと羨ましいかな」
 えっ、と、僕はまた驚かされた。何が羨ましいのだろうか。いや、この際は子供を授かったことだろうか。けれども、彼女があぁなったのには、詩瑠は知らないかもしれないが複雑な経緯があってのことだ。
 彼女だって望んであぁいう姿になった訳でもない。彼女は確かに今幸せを感じているが、それでも、僕たちの様に平凡に生きる人間を羨んでたっているのだ。そんな彼女を差して、羨ましいとは、少し変な話だ。
「子供が欲しいのか、詩瑠?」
「やだ、お兄ちゃん、そういうんじゃないよ。やらしいんだから」
 ただ、自由だなって思って、と、詩瑠は言った。彼女が僕に自由さを見出したように、詩瑠もまた、彼女に自由さを見ていたという事だろう。