「僕の不幸せな青少年時代 その二十九」


「一カ月会わなかっただけで、彼は変わり果てていた。肉付きが良く、少し垂れ気味だったその頬は、引き締まるを通り越してこけていたわ。腕なんかは三割増し太くなっていた。服装なんかも、とても一流大学に合格した人間とは思えない格好で。ぼさぼさの寝癖を放ったらかしにして、黒い隈で縁どられた目でこちらを見つめられた時は、心臓が飛び出しそうになったわ」
「それは、一カ月で百万円も貯めようと思ったら、そうなるだろうね」
「でしょうね。責任を取るという言葉の重みを私も思い知ったわ。百万円もどうしろっていうの。中絶費用を払って貰えればそれで良かったのに。せっかく受かった、大学を辞める必要だってない。私は、そんなつもりで言った訳じゃないの。他にもっと上手いやり方は幾らでもあるじゃない、って、私は彼に言ったのね。そしたら、彼、なんて私に答えたと思う」
 意地悪な笑みを浮かべて、彼女は僕の背中に向かって問いかけた。僕は携帯電話の液晶画面を眺めながら、少し悩んだ顔を演出してみせると、分からないよ、なんて言ったんだいと、彼女にその答えを求めた。
 まぁ、分からないわよねと前置きして、彼女は嬉しそうに口元を吊り上げた。きっと話したくて仕方ないのだ。今、改めて彼女をよく見つめれば、顔つきからも、喋り方からも、悲壮感なんて少しだって感じられない。
「もし君が心変わりをして、お腹の子を育てると言い出しても良いように。百万円じゃ、ちょっと少ないけれども、それでも、子供を育てるのには役に立つと思うから。もちろん、本当に子供を育てるっていうならこれ以外にも養育費はちゃんと払うつもりだよ。って、言ったのよ。その時ね、なんとなく、この人は悪い人じゃないんだなって思ったわ。もちろん、私はこの人のせいで嫌な思いをさせられたけれども、けど、彼が私に対してよっぽど真摯に思っていてくれるというのも事実なんだと思ったの。だって、そうでしょう。どうでもいい相手なら、こんな風に責任を取ったりしてくれないわ」
 それは、まぁ、そうかもしれない。本当に酷い男なら、自分の生活を壊してまで、彼女の為に何かをしようとはしないだろう。もし、その相手が自分だったらと思うと、少しぞっとする。僕は、確かに彼女の事を好いてはいたけれど、彼の様な行動に出れるほど、彼女を愛していただろうか、と。
 きっと、難癖をつけて、後腐れなく子供を降ろさせようとするだろう。
 まざまざと、自分の醜さを自覚させられた気がした。所詮、俺はその程度の男なのだ。彼女のことを愛していると、自分に言い聞かせて、その気にさせる程度の、結局は自分が楽しければいい、自分が大切な、そんな男だと。
「それで、君は彼に惚れてしまったということかい?」
「まさか、馬鹿言わないで。私だってそんな尻の軽い女じゃないの。お金と同意書だけ受け取って、彼にはすぐに帰って貰ったわ」
 そして、彼女は結局中絶手術を受けない事にした。それは、彼が百万円を稼ぐ一カ月の間に、彼女の中でお腹の中の胎児に対して、深い愛情が芽生えたからに他ならなかった。日に日に存在感を増していく、自分の中で脈動する新しい生命に、彼女の母性本能は徐々に目覚めていったのだった。