「僕の不幸せな青少年時代 その二十六」


 詩瑠と逢瀬さんは同じ講義室に入った。高校を卒業したはずの逢瀬さんが大学入学資格を得る試験を受けていることに、僕はまた衝撃を受けた。彼女の身に何があったのだろうか。確かに、彼女が大学受験に失敗したという話は聞いている。けれども、高校まで卒業できなかった、というのは、どういう事なのだろうか。それは彼女の腹の中に居る赤ん坊の親が誰なのかというのと同じくらい、僕には決して分からない事情なのだろう。そうとは分かっていても、あれやこれやと思考を巡らして、その結論を得ようとしてしまうのだから仕方がない。人間とは業の深い生き物だね、と自嘲する。
 自販機で缶コーヒーを買った僕は、壁沿いに供えられたベンチに腰かけると、プルタブを上げて一口コーヒーを飲んだ。ブラックコーヒーはとても苦い。迷走した思考を苦みという感覚が引き戻してくれる。ほっと息を吐けばどうにか落ち着いて、僕はゆっくりと日常生活の中に戻って行った。とりあえず、試験会場にまでは付き合う事は出来ても、試験が行われる部屋の中までは僕も詩瑠に付き合うことはできない。詩瑠の試験が終わるまでの間、することもない僕は、とりあえず試験会場の周りを散策してみることにした。
 大検の試験会場は県内でも屈指の知名度を誇る大学だった。地方の国立大学に通っている僕だが、医学部があるだけこっちの大学の方が全国的な位置づけは高い。本当なら、この大学に通うつもりだったのにな、と、僕は少し複雑な思いを抱きながら、あてどもなくうろうろと校内を彷徨った。そうして、生い茂った木々の間を縫うように走っている煉瓦造りの小道を歩き、学生たちがたむろしている開けた場所を素通りして、僕は図書館へ入った。
 恐らく、あと三時間は詩瑠の試験は終わらないだろう。何か緊急の事態があると困るので、とりあえず携帯電話の電話着信・メール受信のアラート音の音量を上げておく。僕はカウンターから見て、一番見にくいであろう、カウンターからは本棚の後ろに隠れている席に腰かけると、机に突っ伏した。
 まだ時刻は九時になるかならないかという頃だ。一応、県内にあるけれども、この時間にこの大学に来ようと思うと、僕たちの家からはかなり遠い。この試験に参加するために、普段より幾分早起きして、詩瑠を入院先の病院まで迎えに行ってと、複雑な作業を行った疲れが一気に出た。僕はそうして図書室のテーブルに頭を埋めると、ここが図書館であるなんてことはすっかりと忘れて、本に囲まれながら、ほっと溜息をついて深い眠りに入った。
 ふたたび目が覚めたのは十一時も半分を過ぎた頃だった。誰に怒られるでもなく、自発的に起きた僕は、辺りを見回して図書館の利用率やメンテナンスの雑さに感謝した。この様子なら、ちょくちょく入ってもばれはしないだろう。一応、図書館で仕事をている司書さんに気づかれないように、目立たぬように、自然な速度でカウンターを通り過ぎると、僕は、図書室を出た。図書館の前の通りは既に同い年くらいの顔つきをした学生に埋め尽くされていて、楽しそうに談笑する彼らの声を無視して無視して、詩瑠の待つ試験が行われている教室へと向かったのであった。
 さて、お昼はどうしようか。詩瑠が食べれる物を探さなければ。