「僕の不幸せな青少年時代 その二十七」


 教室の前に戻ると多くの受験生が部屋から出てくる所だった。流れにあえて逆らって、僕は部屋の中に入ると、詩瑠の座っている机を探した。病気に伴う長い入院生活により体力的に衰えている詩瑠は、図書館での俺の様に力なく机に突っ伏していた。筆箱にペンも何も片づけられていた物ではない、消しゴムかすの散乱する机の上で、腕を組んで眠っている詩瑠に、僕は思わず微笑ましい気分になった。ほら、詩瑠、起きろ、と頭を軽く小突く。
「あっ、お兄ちゃん。おはよう。うぅっ、なんか少し疲れちゃった」
「しかたないさ。ずっと入院してたんだ。そりより、試験はどうだった?」
 ばっちりだよ、と、彼女はこけた頬でしっかりと笑った。昔から、詩瑠は確かな事しか僕達に言わない。彼女がばっちりだというのだから、受かる程度には問題を解くことができたのだろう。そうか、それはよかったなと、彼女の頭を撫でてやると、もう、もっと喜んでくれても良いんじゃないのと、彼女にしては珍しく、ふてくされた顔をして頬を膨らませてみせた。
 充分喜んでいるよと答えた余所で、僕は心の中で詩瑠が試験に受かったことを少し怖く思っていた。彼女が本当に大学に通うだなんて言い出すんじゃないだろうか。とても、彼女の病状では学校に通うことなどできないのは、目に見えて分かっていた。試験が終わってすぐに動けぬほど披露しやすい体しかり、こうして座っているだけで後ろ指を差される容姿しかり。もし、今のまま彼女が大学に出てこようものなら、充実とは無縁の悲しい日々を送らせてしまう事になる。結果的に、それが彼女の命を削ることになってしまうのではと思うと、僕にはとても彼女が大学に通うのを受け入れられない。
「とりあえず、ご飯にしようか。昼からの試験を頑張らなくちゃだからな」
「うん。お兄ちゃん、私ね、試験にカツで、カツカレーとか食べたいな」
「そんなの食べたら消化にエネルギー全部持っていかれて、午後からの試験が眠くなるぞ。うどんとか、そばとか、そういうのにしとけ」
「ちぇっ、お兄ちゃんのけちんぼ。久しぶりに、病院食以外のご飯が食べれると思ったのに。残念だなぁ」
「じゃぁ、詩瑠がもし、午後の試験もばっちりの出来栄えにできたなら、帰りに兄ちゃんおすすめのカレー屋さんに連れてってやるよ」
 本当、と、詩瑠は目を輝かせる。あぁ、本当だと応えると、やった、と彼女は喜んで手をあげた。まぁ、僕と違ってできの良い彼女の事だから、きっとカレー屋に連れて行くことになるだろう。お金、あっただろうかなと財布の中を確認すれば、なんとか、帰りの電車賃と、昼飯代と、夕飯をそのおすすめのカレー屋さんに行く程度の金は残っていた。明日も試験だから、タイミングを見計らって金を降ろして来なくちゃいけないな。
「それじゃ、とりあえず今日の昼は学食で食べようか。詩瑠、立てるか?」
「うん。大丈夫、だよ。けど、ちょっと肩を貸してくれると、助かるな」
 言われるままに、僕は詩瑠の横に立つと、少し屈んで肩を差し出した。その肩に手をかけて、杖の様に僕を使うと、詩瑠は立ち上がった。
 ゆっくりとゆっくりと彼女の歩幅に合わせて、僕たちは学食へ向かった。