「僕の不幸せな青少年時代 その八」


 丁度、一限目の終了のチャイムが鳴っていた。ぞろぞろと教室から出てくる人の波を逆流し、人と人の間をすり抜けて、僕は自分の教室へと入った。すると、僕のいつも座っている席の一つ後ろに、例の村上春樹に関して話しかけてくる彼女の姿を見つけた。たまたま、今日は彼女そこに座っているのだろうか。それとも、僕が気づかなかっただけで、いつも彼女はその席に座っていたのだろうか。しかし、皆、教室を出て一息ついているというのに参考書なんて開いて、真面目な物だね。そんな事を思いながら、僕は彼女の前にある自分の席に近づくと、鞄を床に置いて椅子に腰かけたのだった。
「遅かったじゃない。寝坊でもしたの?」
「あぁ、ちょっと昨日、頑張って小説を読みすぎたんだよ」
センター試験も間近に迫っているというのに随分と余裕な事ね。危機感って物が足りていないんじゃない。そんなだと、今年も浪人するわよ」
「そういう君はどうなんだい、受かる気がするのかい、現役高校生くん」
 さぁどうかしらと彼女は首を振って手を持ち上げた。握られている本は、海辺のカフカ。作者は村上春樹。なるほど、君も随分と余裕じゃないか。
「ねぇ、貴方どこの高校出身。私はね、そこの櫛田高校だわ」
「僕は高津だよ、第二の方だけれどもね。まぁ、ガチガチの滑り止め私立の更に落ちこぼれだから、大学だって落ちてしかるべきだったのさ」
「学校のレベルが落ちる落ちないに関係するかしら。何事も、個人の努力の結果だと思うわ。前回は、貴方の努力が足りていなかっただけでしょう」
 やれやれ、学校について尋ねてきたのは君の方じゃないか。まぁ、確かに君のいう事の方が正しいと思うよ。もっとも、目指した学科が医学部だったというのもあるだろうけどね。まぁ、受ける学科もまた僕が決めたことだ。
 君は意外に意地悪なんだね。僕が彼女を指さして言うと、そうね、よくサドっ気があるって友達にも言われるわと彼女は笑った。その友達の相手はしなくて良いのかい、何人かはここに通っているんじゃないかと聞くと、高校の友達はみんな推薦でくだらない所に決めてしまったわと、また笑ってにべもなく僕に言った。そうか、するとつまり、君もまた僕と同じで落ちこぼれということか。あるいはそうでなくても、はみ出し者という事か。
 チャイムが鳴ったので、それっきり僕たちは喋らなくなった。昼休みも、僕は図書館に昨日借りたノルウェイの森を返却しにいかねばならず、帰って来ても時間が少なく、ろくに話しもしなかった。最後の講義が終わろうとしていた頃、窓の外を眺めていた僕の背中を何者かが軽く叩いた。振り返ろうとするのを制して、僕の頬を何かが掠めた。机の上に転がるのは丸められたノートの切れ端。開いてみると、今日の夜暇かしらと、女の子らしくない角がとげとげしい文字で書かれていた。ぼくは、いいよと、その紙に書き加えると、それとなく後ろに手をまわして、紙の持ち主が居る机に置いた。
「ねぇ、貴方名前はなんていうの。私は合瀬、合瀬陽菜っていうの」
 予備校を肩を並べて出た彼女に僕は適当な名前を言った。それはスティーブとかゲイツだとか、日本人離れした名前だったので、すぐ嘘だとばれた。