「僕の不幸せな青少年時代 その七」


 結局、僕は夜通しノルウェイの森を読みふけった。相変わらずストーリーの根底に流れる作者の意思を汲み取ることや、人が感じてしかるべき強烈な感動を抱くことは、愚かな僕にはできなかった。しかしTVピープルと比べると、村上春樹という作家の物語りを楽しむ事は充分にできたと思う。
 空が白む頃に読み終えた僕は、ハードカバーを枕の横に置き、携帯電話のアラーム機能を一時間ずらしてから、部屋の灯りを消した。消すと、すぐに眠気が僕の瞼の上に覆いかぶさってきて、微塵の間を感じることもなく、僕の意識は深い深い、自分でも底の知れぬ闇の中へと落ちていった。
 起きたのはアラームを設定した時刻から、一時間経った後だった。その日もまた予備校は普通にあって、自転車の時間を考えても、とて間に合う時間ではなかった。このまま休んでしまおうか。いや、センター試験も差し迫ったこの時期に、そんな余裕ぶってどうするというのだ。二時間目からでも、なんとか授業に出れないことはない。僕はベッドから起き上がると、灰色のスウェットを脱いで、Gパンを穿いた。シャツに袖を通し、厚手のシャツを着るとその上からコートを羽織ると、僕は下の階に降りようとした。階段を一歩降りた所で、そう言えば父がノルウェイの森の下巻を持っていると言っていたのを思い出し、一段下がっていた足を引き上げ、階段に背を向けた。
 父の書斎に入るのは久しぶりだった。昔はよく父に招かれて、熱帯魚を眺めにきたものだが、今はすっかりとそんなこともしなくなった。
 階段のある廊下の突き当たり、そこが父の書斎だった。一応は、父のプライベートルームということになってはいたが、扉に鍵はついておらず、誰でも出入りができる。僕は扉を引いて中に入ると、熱帯魚たちに軽く顔を見せて、そのまま奥の本棚に向かった。本がすし詰めにされている棚を見た時には、見つけられるか流石に不安になったが、意外にもノルウェイの森の単行本はすんなりと目に付くところにあった。背表紙の上に人差し指を載せて、将棋倒しの様に慎重に指を動かして、単行本を引き抜くと、ポケットの中にしまいこむ。昔と違って父がこの書斎を使う事も少ない。まぁ、数日借りるくらい訳ないだろうと思い、僕は書置きも何も残さずに父の書斎から出た。そして、再び階段へと戻ってくると、今度こそ一階へと降りた。こんな時間である、リビングに入ってご飯を食べている時間はとてもないだろう。食べるだけなら、なんとかなるかもしれないが、父母に加えて妹も居ない我が家では、食べるものも作らなければいけない。料理は得意な方だったが、それでも今から味噌汁を作るのは骨が折れる。なので僕は階段を下りるとすぐにリビングに背を向けて玄関に向かった。そして、スニーカーに足を滑りこませて、玄関の扉を押して外に出た。眩しい朝日が顔面に向って降り注いでくる。あぁ、真冬だというのに、少し暑く感じるくらいだ。よく寝たものだ。
 こんな時間に予備校に登校するのは初めてだった。遅刻したのだ、少しでも早く予備校に着こうと、必死でペダルを漕ぐ。というのが、恐らくは正しい予備校生の姿なのだろうが、生憎、センター試験前に小説を読み漁る僕にそんな常識はなく、二限目の講義に間に合う程度にペダルを漕いだ。