「醤油呑み星人のメール」


 チャンネルを変えてもこの気持ちはどうにもなりそうになかった。俺はテレビの電源を切ると、項垂れて、小さくため息を吐いた。手を置いている、雅の頭が軽く動く。起きたのだろうか、しかし、その目は開いていない。俺が今、どういう精神状態にあるのか分かっていて、起きていないふりを続けている、とか。彼女にしては賢明な判断だ。もし雅が起きてきて、その眠たげな瞳を俺に向けようものなら、今の俺は、また彼女の酷いことをしていただろう。俺は雅を傷つけたくなくて、ゆっくりとソファーから離れると、玄関へと移動した。こういう時には散歩でもするに限る。肉体的に疲れれば、精神的な疲れや苦痛なんてものは、どうにも感じなくなるものなのだ。
 どんどんと暗くなっている夜道を、俺は当てもなく足の赴くままに歩く。住宅街を抜けて、シャッターの降りた商店街を抜けて、大型スーパーの駐車場を横切って、墓場の横を通る。犬に引かれて歩いてくる小学生くらいの女の子に、こんばんはと挨拶されたが、俺は無視してその横を通り過ぎた。荷車を引いて歩く老婆にも同様に挨拶されたが、無視して俺は進んだ。そうしてたどり着いたのは、昼間行きそこなったスーパーの前だった。そうだ、買い出しをしなくては、今日食べるものはないのだ。せっかく外出したのだから、何か買って行こう。やれやれ、まさか同じ日に二回もスーパーに行くことになるとは。とても非効率な行動だとは思ったが、何故か行かないという気分にはならなかった。多分、ここがスーパーでなくて、公園や、パチンコ屋だったとしても、そう思っただろう。気がまぎれればどうでも良いのだ。
 俺は再び、醤油呑み星人と分かれたパンコーナーへとやってきた。前に来た時よりもあきらかに増えている総菜パンの量に、少しだけ来てよかったかなという気分になった。ふと、醤油呑み星人とメールアドレスや携帯の電話番号を交換したことを思い出した俺は、ポケットの中から携帯を取り出し、彼女から連絡が来ていないか確認してみた。折り畳み式の携帯電話を開き、液晶画面を確認すると、着信履歴はなし。メールの受信履歴もない。あんな別れ方をしたのだから仕方ないだろう。落胆して思わず肩を落とした俺は、なんだかんだであの女との再会を喜んでいたのだという事を思い知った。
 総菜パンを二つ程買い物籠に入れる。その後、スパゲティの麺とソース、小麦粉にカレー粉、にんじんやじゃがいもといった野菜に鶏肉と豚肉、そして出汁入りのパック味噌を籠の中に揃えると、俺はレジへと向かった。特売日でもないのに大量に買い込んだおかげで、財布の中身はすっかりと空っぽだ。重たく、今にもはち切れそうなレジ袋を両手に持って、スーパーを後にする。暫く歩いた所で、不意に携帯電話が鳴った。この着信音は、メールを受信した音だ。ここ数か月、俺にメールをしてきた人物は居ない。今日の出来事から言って、メールを送ってきたのは間違いなく醤油呑み星人だろう。
 軽快な着信音と共に震える俺の携帯電話。取りたいが、取れない。いや、取りたいのだろうか。どうせ、醤油呑み星人の事だ、どうしてすぐに連絡しないのよとか、そういうどうでも良いことだろう。煩わしい。放っておこうと、俺は、期待していたくせに、醤油呑み星人のメールを無視した。