「大園観鈴のお兄ちゃんは鼻にちり紙を詰める」


 リビングに戻ると、テーブルに置かれているティッシュ箱に手を伸ばす。乱雑に引き抜いた数枚で鼻の下を拭うと、同じように引き抜いたティッシュを使って鼻頭を押さえる。そうして乱暴に止血している内に、ティッシュを棒状にまとめると、素早く鼻を押さえているティッシュを外し、鼻穴に突っ込んだ。鼻血を止めるのに、この方法は幹部を傷つけるのでよくないと、テレビか何かで見た気がするが、ずっと上を向いているのも非効率だし、口の中を熱い鼻血が流れていく感覚というのは、どうにも我慢できなかった。
 熱く重たくなったティッシュを鼻から抜く。赤黒く固まった粘性のある鼻血が鼻の穴から尾を引いてティッシュまで伝う。まだ、血は少しも止まっていないようだ。抜いた途端にまた鼻穴の中に熱い液体が満ちて行くのが分かる。急いでまたティッシュを棒状にすると鼻に突っ込んだ。どうやら、よほど打ち所が悪かったみたいだ。暫く安静にしているとしよう。俺はソファーで眠る雅を一瞥すると、自分の部屋に戻ってベッドに寝転がった。上を向いているのは辛いが、寝ている分には楽でいいね。ついでに氷枕で冷やした方が早く良くなりそうな気がするが、立ち上がる気力はなかった。
 目を瞑れば、血を失ったためかすぐに気分が微睡んできた。鼻からティッシュを抜いておいた方が良いだろうかとも思ったが、そんなに長い時間を寝るつもりもない、少しまどろむくらいなら、別に構わないだろう。
 暗い視界の中に、二人の妹の影が見える。死んでしまった、可哀想な、俺の妹達。詩瑠と、詩瑠に成り代わった彼女。浮かび上がる市民病院の一室の風景。詩瑠が二度死んだあの病院で、俺が寝ていたあの病室で、あの日、詩瑠に成り代わった彼女は、コロ太に襲い掛かられて窓から病院の庭に転落した。誰もが動揺する中、詩瑠がその隙をついて、コロ太と味噌舐め星人が消えた窓から外へと飛び出した。俺と観鈴、ビネガーちゃんと父さんと母さんは、消えた彼女たちを追って地上へと降りた。夜間出入り口から病院の外へと出て、俺たちの病室から見える病院の庭へと向かえば、そこに横たわっている白い獣の姿が見えた。首があらぬ方向に曲がっており、それがこと切れているのは目に見えて分かった。コロ太。詩瑠が大切に育てた老犬は、最後に彼女の意思を汲んで、仇敵を討った。そのコロ太の前に呆然と立ち尽くして、見下ろしているのは、先に死んでしまった彼の飼い主。目から小粒の涙を流して、彼女はコロ太の前で膝を折ると、ゆっくりとその腹を撫でた。
 ありがとうコロ太。お前だけは、最後まで私の味方で居てくれたんだね。優しく、いつの日だったか、家の庭先でそうしていたように、詩瑠はコロ太を労わる様に撫でていた。その体は、徐々にではあるが、薄まっていっているようだった。彼女の中で、何かが完結したのだろう。それを素直に喜んでやれれば、どんなによかっただろうか。俺は、消えゆく彼女の手を取って、おい、詩瑠、どうなっているんだ、彼女はどこに行ったんだと、尋ねた。詩瑠の顔は既に半分以上消え去っていて、憐れむような視線を俺に向けると、彼女はもう消えたのよ、私と同じように。もう、戻ってこないわ。と、優しい声色で、まるでコロ太に語りかける様に、俺に告げたのだった。