「僕の幸せな幸せな子供時代、そのさんじゅう」


 観鈴を両親のベッドに寝かしつけてから、俺は父の携帯に電話をかけた。几帳面な父のことである、病院の中ではきっと電源を切っているだろう。もし、電話がかかるとすれば、もう医者からおおよその話を聞いて、詩瑠との面談も済ました後に違いない。そんな風な思惑を僕が巡らしていると、巻かれたケーブルの鬱陶しい固定電話は、お決まりのコール音を立て始めた。
「もしもし、私だ」
「父さん。僕だけど。観鈴はもう寝かしつけたよ。そっちはどう、お医者さんから、話は聞いた? 今日は家の方に戻るの?」
 一度に複数の質問をするなと少し怒った語調で言う父さん。父は頭が決して悪いわけではないのだが、どうやら芸能事務所から病院への強行軍や、医者の話が精神的に堪えたらしく、少し気が立っているようだった。沸点が低く我儘な母と違って、いつも冷静で理性的な彼にしては、とても珍しい。
 受話器の向こうでため息を吐く声が聞こえた。どうしたの、誰から、という小sさい声が受話器から聞こえた。どうやら隣には母さんが居るらしい。
「詳しい話は聞いた。残念だが、こればかりはどうしようもない」
 父さんらしい、それは理性的な言葉だったが、その声色には抑えがたい悲しみが滲み出ていた。そうだね、と、僕もまた冷静な言葉を返す。やはり親子だからだろうか、父と同じように僕の声もまた、痛ましく震えていた。
「どうするつもり?」
「私がどうこうした所で、詩瑠の寿命を悪戯に縮めるだけだ。それより、医者に任せて、残りの人生を少しでも長く有意義に生きて欲しい」
「じゃぁ、詩瑠には癌の事は言うつもりなんだね?」
 沈黙。沈黙。沈黙。五秒ほど無音の時が続いたかと思うと、父さんは絞り出すような声で、あぁ、と、僕の質問に答えた。声はまだ震えている。
 はたして、詩瑠が自分の病気の事を知れば、どう思うのだろうか。我慢強い彼女は、また、今まで体調が悪いのを隠してきたように、辛いのにやせ我慢するんじゃないだろうか。そんな妹を、これ以上僕は見たくはない。しかし、何も知らさないまま、詩瑠を死なせてしまうのも、それは家族として、兄妹として、彼女に対する裏切りの様に思えた。
 自分が死ぬと知っていればこそ、できることもある。残り少ない詩瑠の人生だ、彼女の好きなように使わせてやるべきだ。
「とりあえず、今日は詩瑠に会ったの?」
「……寝ていたからな。寝顔を見ただけで、そのまま帰った。だから、まだ詩瑠には病名の事は伝えていない」
「そう」
「その口ぶりだと、お前からはまだ詩瑠に話はしていないんだな?」
 うん、と、答える代りに沈黙をした。また、沈黙が続き、今度は受話器の向こうからため息が返って来た。
「親として、情けない話だが、お前が話してくれていたらと、期待している私が居たんだ。すまん、今日は迷惑をかけたな、後は父さん達に任せろ」