「僕の幸せな幸せな子供時代、そのにじゅうはち」


 詩瑠の病気は小児癌だった。それも、もっと早く症状に気づいていれば、良くなったかもしれないなんていう、ドラマみたいな台詞のついた、そんな小児癌だった。治療したとしてもよくて余命は半年。もう医者も処置の施しようがないくらいに、詩瑠の体は癌という病魔に侵されていたのだ。
「あっ、お兄ちゃん。良かった、なかなか病室に来てくれないから心配してたんだよ。ほら、点滴打ってもらったらまた元気になったよ!!」
 自分の病名を知らされていないのか、詩瑠は僕が病室を訪ねると、針の刺さった腕を振り回して笑顔で言った。危ないだろう、針が刺さっているのにそんな振り回したりしたら、と、僕は無表情で応じる。もうお兄ちゃんてばノリが悪いなぁ。大丈夫だよこれくらい。悪戯っぽく笑って詩瑠は針のついた腕をベッドの上に置く。部屋の壁に立てかけられていた、パイプ椅子を手に取ると、僕は彼女の前にそれを置いて、不安の色の微塵も案じられないその顔を窺った。こんなに元気そうなのに、癌だなんて、信じられない。
「ねぇお兄ちゃん。私、暫くここに入院することになるって、さっき点滴を替えに来た看護婦さんから聞いたんだけれど、それって本当なの?」
「あぁ。少し難しい病気なんだそうだ。けど、治らないことはないから。先生のいう事をちゃんと聞いて、一カ月くらい大人しくしてたら、無事退院できるそうだ。だから、夜更かしせずに良い子で過ごしてるんだぞ」
「もう、お兄ちゃんってば。私はそんなこと言われなくちゃいけないほど、子供でもないし悪い子でもないよ。酷いんだから、もうっ」
 詩瑠が、人に心配をかけまいと何でも一人でしょい込むような、そんな良い子であることを俺は知っていた。この病気が、詩瑠の夜更かしのせいでもなんでもなく、遺伝子的な要因で起こってしまったことだというのも、僕は知っていた。それでも、そんな風に彼女に言ったのは、彼女に、自分の体を蝕んでいる病気の原因が癌だというのを悟らされない為だった。
 別に医者からいう事を禁じられている訳でもない。親から詩瑠に病名を話すのを止められたわけでもない。ただ、その言葉を聞いて狼狽える詩瑠を見るのが忍びなくて、僕は独断で、彼女に病名を聞かせるのを避けた。
「そっか、今から一カ月休んだら、丁度中学校は春休みだね。やった、超長期連休だわ。テスト受けられないのがちょっと心配だけど」
「……お気楽な奴だな。入院することになったってのに。お兄ちゃんやお父さんお母さんが、どれだけ心配したことか。まったく、この兄不幸もの」
「ごめんなさーい。けど、私だって心配かけたくなくって、黙ってたからこうなったんだからね。そこらへんのこと、ちゃんと理解して頂戴よね」
 だったら、今度からは黙っていないでちゃんと相談してくれよ。
 喉まで出かかった言葉をぐっと胃の中に押し戻して、ハイハイ分かったよ分かりましたと、僕は詩瑠に返事をする。本当に分かったの、と、詩瑠はこちらを訝しむ目で見てくる。本当に分かったよと今度は笑顔まで付けて僕は言うと、詩瑠の頭にそっと手を置いて、掻き毟るように撫でまわした。
「きゃっ、なにっ、もうっ、お兄ちゃんってば、くすぐったいよ」