「僕の幸せな幸せな子供時代、そのにじゅうろく」


 点滴を打った詩瑠は確かに元気になっていた。いつもと変わらない元気な声色に僕は安心すると、それじゃ帰るかと彼女の手を引いた。詩瑠は悪戯っぽく僕の腕にしがみつくと、ねぇ、お兄ちゃん、もしかして、私が大変な病気にでもなったんじゃないかって、心配してくれた、なんて、くだらないことを聞いてきた。別に、普通の風邪だと思ってたよと、僕はなんでもない調子でいってみせたが、今朝方の熱の具合から、もしかしたらなんて思っている部分があるのも確かだった。事実、別に頼まれても居ないのに、自発的に僕は学校を休んでいる。なんだかんだで、僕はこの妹に弱いというか甘い。
「もうっ、少しくらい心配してくれても良いじゃない。お兄ちゃんてば冷たいんだから。昨日、私が死んだら悲しんでくれるって聞いた時も、なんだか上の空な返事だったし。お兄ちゃんみたいな人が家族じゃ、こっちとしてもおちおち死ぬことだってできないわ」
「こらっ、縁起でもない事を言うなよ詩瑠。心配だからこうして学校を休んでまで病院についてきたんだろうが。お前が死んだら、僕は悲しいよ」
 本当かしらとくすくすと笑う詩瑠。その小さな指で腕を搔く仕草は、中学生のはずなのに、少し悩ましい物があった。馬鹿、実の妹だぞ。
 すっかりと熱も引いて口調も軽くなっていたが、それでも病み上がりだ。大事をとって、僕はゆっくりと詩瑠の歩幅に合わせて歩く。
 空を見ればもうすぐという所まで迫っている春の気配。少し暖かくなった風に吹かれて、妹の長い髪が揺れる。擽ったそうに笑う詩瑠の顔を見ていると、僕はなんだか落ち着かない気分になった。なぜだか、はっきりとした理由は分からないが、不安な感情が胸の奥に湧き上がったのだ。
「お兄ちゃん? どうしたの、さっきからこっち見て?」
「……いや、なんでもないよ。しかし、やっと温かくなってきたな、ここらへんも。早く冬なんて過ぎちまえばいいのに」
「そうだね。寒いのは疲れるものね。けど、お兄ちゃんとこうしてくっついて居られるから、ちょっとくらいは幸せかも」
「ちょっとくらいかい。いや、まぁ、良いさ」
 へくち、と、詩瑠がくしゃみをする。せっかく点滴を打って治ったというのに風邪をひかれては困ると、急いで僕は上着を彼女に羽織らせた。こうしてお兄ちゃんの服も切れるしねと、笑って言う彼女に、今日はもう家帰ったらすぐに寝て安静にしてろよと念を押した。
 彼女のことだ、元気になったら休むのなんかそっちのけで、途端にテレビなりなんなり見るに決まっている。
 けどけど、コロ太の散歩に行かなくちゃという詩瑠に、良いから寝てろと強く言いつける。それでもつべこべいいそうなので、だったら僕が行くからと約束すると、詩瑠は反論が見当たらないのか静かになった。
 約束通り、家に着くなり僕はコロ太の犬小屋へと向かうと、縄を持った。
じゃぁ、散歩に行ってくるから、昼飯まで大人しくしてろよと言うと、子供じゃないんだから、体調管理くらいするよと、拗ねた調子で詩瑠は言った。