「僕の幸せな幸せな子供時代、そのにじゅうさん」


 詩瑠を部屋へと運び入れてベッドに寝かせると、改めて僕は彼女のおでこに手を当てて熱をみた。詳しい体温はやはり分からなかったが、明らかな温度差を感じる。体温計で熱を測ろう。ついでに風邪薬も下から持ってくるよと、僕は詩瑠の頭を撫でて言った。妹は微かに微笑んで、お願い、と、僕に呟いた。弱弱しいその笑顔に儚さを感じながら、僕は詩瑠の部屋を出た。
 階段を駆け下りながら、僕はこの事を父さんと母さんに伝えるべきか考えていた。母さんはともかくとして父さんは最近とても忙しそうだ。大切な娘とはいえ風邪の一つで呼び出しては迷惑かもしれない。母さんに連絡を入れれば必然父さんにも連絡は回ることになる。家族に心配をかけない為には、ここは黙っておいた方が良いのかもしれない。なに、単なる風邪だ、二日も安静にしていればきっとよくなるだろう。キッチンのジャーが乗った台の下にしまわれている薬箱から、体温計と我が家の常備薬であるベンザブロックを取り出す。食洗機の横にある電気ポットから、湯呑みにお湯を汲むと、それらを盆の上に載せて、俺はすぐに詩瑠の待つ二階の部屋へと戻る。キッチンとリビングを仕切っているカウンターの上に、灰色の電話が置かれているのが視線の端に入ったけれど、僕は意識してそれを無視した。
 部屋に戻ると、詩瑠の息は更に荒くなっていた。どうやら、体調不良を自覚したことで抑え込んでいた症状が表に出だしたらしい。大丈夫かと僕は詩瑠に尋ねると、またその頭を撫でた。大丈夫だよ、お兄ちゃん、心配し過ぎだよ、と、詩瑠は気丈に笑顔を作って僕に返事をした。頭はまだ熱い。どうやら、先ほどよりも少し熱が上がったような、そんな気がしないでもない。
「詩瑠、とりあえず、熱を測って。それからお薬を飲もう」
「お薬は、ベンザブロック? 葛根湯は、苦いから、嫌だよ?」
 心配しなくてもベンザブロックだよ。そう言って、黄色い蓋が載った瓶を見せると、詩瑠は心底安心した顔をした。そんなことで安心してる場合じゃないだろうに。まったく、こんな時でもどこか呑気なんだから、この娘は。
 体温計を渡すと、詩瑠はもそもそと布団の中で蠢いて、それを自分の腋にセットした。両者無言で待つこと三分、電子音が鳴ったので素早く取り出すと、体温計の示すデジタル表示は三十九度を示していた。これは凄い熱だ。
 ベンザブロックより頓服を飲んだ方がいいのではないかとも思ったが、流石に頓服は常備していない。明日にでも病院へ行かせるとして、この場は民生品で済ますほかない。僕は黄色い瓶の中から、錠剤を三個取り出すと、ほらと詩瑠に渡した。ベッドの上で少し体を起こして、僕から薬を受け取った詩瑠は、それを一粒ずつ口に含んで、俺の渡した湯呑みのお湯で飲み下す。
 熱のせいで飲みこむ力も弱いのか、途中でむせ返った詩瑠だったが、なんとか薬を飲み下すと、布団を首まで引っ張り上げて、静かに目を閉じた。
「詩瑠。お前、ここ最近夜更かしし過ぎなんじゃないか。幾らテレビが面白いからって、体調崩すくらい見るなんて、それは、どうかと思うぞ」
「ごめんなさぁい。今度から、気を付けるね」
 そう言う詩瑠の声は、何故だろうか、少し、嘘っぽく僕には聞こえた。