「僕の幸せな幸せな子供時代、そのにじゅう」


 それはいっさい偽りのない本当の言葉だった。あるいは、それが偽りだったらどんなに気が楽だったろうかという無情な事実だった。彼女はその日、いつもと変わらない態度で僕と接し、そして、いつもと変わらないように僕達は別れた。ただ少し、口調が寂しげだっただけだ。それくらいだ。たったそれだけの彼女の兆候を僕が察してあげることができたなら、あるいは状況は変わっていたかもしれない。僕は決してマゾヒストではないが、彼女の我儘に付き合わされることは決して嫌ではなかったし、彼女のことを愛してもいたのだと思う。ただ、悲しさを感じられないという一線こそ僕たちの間にはあったが、僕はきっと、彼女に一緒に死のうと持ちかけられたら、嫌だと言って彼女の頬を張り、手を握るくらいのことはできたように思う。
 とにかく、彼女は家族に黙って死を決意し、黙ってそれを実行した。
「なにも、ありませんでしたか」
「はい。少しいつもの彼女と違ったかなと、今となっては僕も思いますが、それでも、彼女はいつもと変わりませんでしたよ」
「そうですか。しかし、なぜ妹は、学校で死のうと、思ったのでしょう?」
 それも分からない。僕と学校で行為に及んだあと、突発的に死にたくなったのか。それとも、浮かれた気分の文化祭に自分の死体を投じることでぶち壊したかったのか。あるいは、彼らの両親が言うように事故死だったのか。それは彼女しか知りえない、深い死の穴へと彼女の魂と共に吸い込まれた真相である。もう一つ、可能性として、この家で死ぬ気にはなれなかったのかもしれない。両親はともかく、彼女の好きな姉の居るこの家で死ぬというのは、彼女にとって何か大切な物を汚すような抵抗があったのかもしれない。
「分かりませんよ。僕には何も。妹さんの死の真相が知りたいんですか?」
 言葉に困って、僕は逆に質問をし返した。今度は彼女の姉が言葉に困る番のようだった。暫く無言の時間が続き、そして、ふと、そうかもしれませんという悲しみに震えるような声が、壁の向こうから聞こえてきた。
「私は、妹がこんな唐突に死を選ぶような子には思えなかったのです。警察から自殺だったと聞かされた後も、どこかで、父や母と同じように、そんなことはないと思う自分が居て。それが、こうして、彼女の死が何かの間違いだったんじゃないかと、私の頭の中で囁くんです。彼女の死によって空いた心の空洞を埋める、何かがあるのではないかと、私に囁くんです」
「それは、例えば僕が彼女を自殺に追い込んだ張本人だったら、と」
「はい。そういうことなんだと思います。あるいは、父や母が原因だったのだとしても、それはそれで構わないのです。私が原因ならば、きっと一番気が楽でしょうね。とにかく私は、彼女が死ななければならなかった理由を知りたいのだと、知ってこの落ち着かない心を整理したいのだと思います」
「それが分かったなら、僕も随分心が楽ですよ。人の死ってのはそういう物なんじゃないでしょうか。自殺も、事故による死も、病気による死も、他者が納得できる理由なんて物は、そもそも存在しないんじゃないでしょうか」
 そうかもしれませんねと、また、一呼吸遅れて壁の向こうから声がした。