「僕の幸せな幸せな子供時代、そのじゅうきゅう」


 彼女がどうしてそんな事になったのか、誰も明らかにしようとはしなかった。彼女の家族は冷淡で、家族の誰かが自殺したという事を徹底して認めなかったし、それを自殺だと世間に知らしめないだけの力があった。いつの間にか、学校の柵が壊れていたことになったし、本来施錠されて入ることのできないはずの校舎は、夜間入り口なるものがあり、そこから自由に生徒が出入りできるようになった。挙句の果てには有名無実の天文部に彼女は所属していたことにされ、星を見る為に夜遅く校舎の屋上に上ったのだと。僕は日に日に変わっていく彼女の存在に狼狽えはしたが、それが別段悲しいとは思わなかった。彼女の様に特殊な環境に居る人間は、こういう事になるのも仕方のないことだろうと、妙に納得した気分になって経緯を見つめていた。
 だから僕の家の数倍はある彼女の家で行われた葬式にも、僕は平然とした顔をして参加した。多くの同級生たちと同じように、彼女はクラスのムードメーカーでしたという顔をして。桐の箱に入れられた彼女に会いに行った。頭から地面に激突してしまった彼女の顔を見ることはできなかった。僕の前では見せた事のない満面の笑みの遺影が嘘っぽくて、僕には少し笑えた。だれもかれも、彼女が自殺するような子ではなかったと、そう思いたくて必死なんだと。滑稽でしかたなかった。だから、僕はなんだか白けてしまって、一緒に来ていた友人らしい男に先に帰ってくれと頼むと、葬儀で忙しく人気の少なくなった彼女の家の中に、こっそりと忍び込んだのだった。
 広い屋敷の中を迷いながら歩いて、僕は彼女の部屋へとたどり着いた。途中で家政婦さんに見つかったが、トイレを探しているのだと言って上手く誤魔化した。人が死んだのに悠長にトイレだなんてという渋い顔をされたが、家族ぐるみで彼女の死の意味を替えているこんな茶番に、泣いてやる義理なんてなかったし、僕を虐げてきた彼女に出してやる涙などなかった。
 初めて入る彼女の部屋の中は、粗暴な彼女にしてはずいぶんと片付いていた。彼女と会うのはたいてい夜の学校だとか、彼女の父の息がかかったホテルだとか、そういう場所ばかりだったので、今の今までこうして彼女の部屋に訪れることはなった。一方的に僕は彼女に虐げられる立場の人間なのだから、それも仕方ないだろう。僕と彼女は別に付き合っていたわけではないのだ。けれど、そう言えば、昔一度だけ、僕の家で行為に及んだ事があったっけか。いつ詩瑠が帰って来るのかと、あの時ばかりは僕も酷く焦った。
 ふと机の上を見ると、写真が飾ってあった。背が高く神経質そうに眉を吊り上げているオールバックの中年男と、打って変わって優しい笑みを浮かべている上品な感じの中年女。不機嫌に眉を寄せているのは彼女で、その隣には中年女に似た優しい顔つきの黒髪の女性が立っていた。きっとその女性こそは、彼女に何度か聞かされたことのある、大好きお姉ちゃんだろう。
 机は家族の手で徹底的に改められた跡らしく、鍵付きの引き出しなどはこじ開けられていた。僕はそのこじ開けられた引き出しを引くと、中から彼女の日記を取り出して、そして背中にあったピンク色のベッドに座り込んだ。
 その時だ、壁向かいからなにやら物音が聞こえてきたのは。