「僕の幸せな幸せな子供時代、そのはち」


 僕はパソコンを立ち上げると、デスクトップに置いてあるhtmlフォルダを開いた。さらにその中にある、Diaryフォルダにアクセスすると、その中にあるテンプレート.htmlと5.htmlファイルをノートパッドで開いた。テンプレート.htmlファイルには日記のテンプレートが、5.htmlファイルには五月分の日記がまとめ記述してあった。
 父がケーブルテレビに加入して、インターネットに接続し放題になったのを機に、僕は自分のホームページと言う物を立ち上げた。Yahoo!でフリースペースを借り、そこで自分の趣味である、例えばプラモデルの写真だとか、旅行先で撮った写真であるだとかを、公開している。もっとも、趣味をするにも最近は忙しく、メインのコンテンツはまったく更新できていないのだが、それでも、日記だけは毎日欠かさず書いているのだ。自分が今日何をしたのか、自分の身の周りで何が起こったのかを書き記すというのは、簡単に思えて意外に難しい。過去に何度か、僕は日記をつけようとして失敗していたから、その事をよく知っていた。それ故に、日記をネットで公開するようになって、一年が経った時には少し驚いた。よく、続いたものだと。
 その日に起こったことをそのまま書いていても面白くない。多少の脚色と誇張を交えて、僕は日記を書いた。日記の中で、詩瑠は我儘で甘えん坊な妹だったし、父さんは口数と髪の毛の少ない情けない中年労働者だった。母さんは口やかましい教育ママで、僕に幸せだと偽って自分のさせたい事をさせる嫌な母親だった。まぁ、彼らの性質、とりわけ、負の側面を切り出して誇張しているだけだ。何も本当に僕か家族の事をそんな風に思っている訳ではない。漫才師だって、場を盛り上げるために、自分の相手をこれでもかと貶すじゃないか。それと一緒だ。身内だからこそ過激な事が言えるのだ。
 今日は妹が犬を飼いたいと言ってきた。学校に子犬が捨てられていたのだが、どうやらなかなか貰い手が見つからないらしい。気持ちは分かるけれども、今の家には子犬を飼う様な経済力がないと言うと、がっかりしていました。過去に僕は動物を飼っていたことがあるのですが、その時の経験から言わせてもらうと、動物なんて飼うもんじゃありませんよ。世話も大変ですけど、長年一緒に暮らしてきた兄弟のような存在が、先に死んでしまった時に感じる喪失感は堪えがたい物があります。大きくなったとはいえ、まだまだ子供の妹に動物の世話ができるとは思えませんし、兄弟を失う様な悲しい思いをして欲しくありません。ですが、僕の思いとは裏腹に、妹はまだその犬の事があきらめられない様子です。とりあえず、心配しなくても、しばらくしたら貰い手が見つかるよと言っておきましたが、さて、どうなるやら。
 今日の分の日記をテンプレートに流し込む。日付の部分を加工すると、僕はそれを5.htmlの上の方に張り付けた。次にFTPソフトを立ち上げると、パスワードを入力してレンタルサーバにアクセス。更新した5.hmltファイルをアップロードすると、僕は自分のホームページをブラウザで閲覧した。特に問題なく、今日の分の日記が更新されている。大丈夫だ。
 ついでに今日の閲覧者数を確認し、僕は変わらぬ現実に肩を落とした。