「僕の幸せな幸せな子供時代、そのなな」


 まさか父の口から大学に行けという言葉が出てくるとは思わなかった。私立大学を出ている母さんだって、進路に関して僕に大学へ行けと言う様なことは無かっただけに、工業高校出の父さんがそんな事を言うのは、僕としては本当に意外だった。そしてこの男らしい父さんが、自分の力で家族を養ってきた父さんが、自分の人生を否定するような発言をしたのも、また、だ。
「父さん、どうしたのさ。何か、会社で嫌な事でもあったの?」
「会社は関係ない。子供の気にするようなことじゃない」
「でも、父さんがそんな事言うなんて。何か辛いことがあるなら」
「いいから、気にするな」
 怒鳴ってこそ居ないが語気を強めて父は僕に言った。
 子供が親の仕事に対してとやかく言うのは間違っていることだろうか。家族なのだから心配するのは当然のことじゃないのか。そんな憮然としない思いを頭の中に抱えて、それでも僕は黙った。こんなに感情的になった父を知らない僕は、正直な所、怖かったのだ。初めて、父を恐ろしいと感じた。
「ハンバーグ、持ってくる。ご飯はどうする?」
「……軽くで良い」
「わかった。明日は朝早いの? 朝食は僕らと食べられそう?」
「明日は五時出だ。朝食は勝手に済ませる」
 そう、と、僕は呟いてキッチンへと向かう。父との会話は前から何を話せばいいか分からなかったが、今日ばかりは本当にどう会話を繋げればいいのか、言葉に困った。父の怒りはおそらく、まだ、収まっていない。
 触らぬ神に祟りなし、だ。僕は父にハンバーグの載った皿を出し、すぐにキッチンに戻ってお茶碗にご飯を盛ると、それじゃ、僕は寝るからと言ってリビングを後にした。何の返事もなく、ニュース番組を気の抜けた目で見ている父さんが、僕にはちょっと心配に思えた。本当に何もないなら良いが。
 部屋に入ると電気をつけた。眠ると言ったが、少し、僕にはやる事があった。机の半分以上の領域を占領している白い金属製の箱。パソコンの前に、僕は座るとモニタと本体の電源を入れた。ブゥン、と、通電の音がしてモニタのボタンの横、橙色だったライトが緑色に代わる。色の少ない意味不明な模様がモニタに浮かび上がると、すぐに文字だらけの画面に変わった。
 僕が中学校に進学したころ、父はケーブルテレビを家に引こうと言い出した。僕と詩瑠がテレビ東京系列の番組を見たいと散々喚き散らし、その結果として、父が妥協してくれたのだ。もちろん、父にもそれなりの思惑があった。当時の我が家のインターネット環境はISDN。電話回線を使い通信する比較的低速な環境であった。ADSLや光通信と、進む通信技術の進化の中に、そろそろ限界を感じていた父ではあったが、残念な事にADSL回線は僕たちの地域をサポートしていなかった。しかし、ADSLに次ぐ、通信速度を持つ、ケーブルテレビのインターネットサービスはかろうじて僕たちの家をサポート対象範囲に含んでいた。利用料も安かったこともあり、父は母の反対を押し切り、思い切ってケーブルテレビへの乗り換えを断行した。