「御園詩瑠の誘惑」


 カエルの鳴き声のような声を上げて、味噌舐め星人は白目を剥く。詩瑠の白く細い腕を握りしめて必死に離させようとするのだが、詩瑠の手はますます彼女の首に食い込んでいく。意識が絶えるより早く、息が止まるよりも早く、その首をへし折らんばかりの勢いだ。そんな力、いったい彼女の体のどこにあるというのだろう。それほどまでに、味噌舐め星人への恨みが強いということなのか。とにかく、これ以上詩瑠の好きにさせてはいけない。
 おぼつかない足に力を込める。女装をつけて、俺は床の上で味噌舐め星人に馬乗りになり、その首を絞めつけている詩瑠に体当たりをしかけた。
 だが、俺の体は詩瑠の体を突き抜けて、廊下の上を一回転、気づけば病室の壁に背中を打ち付けていた。何が起こったのか、理解できない。いや、そういえば、今の詩瑠は、塩吹きババアは、自分の体を自分の都合のいいように触れるようにしたり、触れなくしたりすることができるのだった。
「邪魔をするのお兄ちゃん。この泥棒猫の方が、私より大切だっていうの」
「違う、そうじゃない! どんなに味噌舐め星人が憎いからって、許せないからって、詩瑠、そんな事をするのは間違っている。今は錯乱していて、そうするのが正しいように思えるかもしれないが、味噌舐め星人を道連れにした所で、結局、何も解決はしない。ただ、虚しくなるだけだ。詩瑠、分かるだろう賢いお前なら。お前が悲しいのは、俺たちに忘れ去られたからだ。俺たちがお前たちの事を思い出せば、それで、良いだけじゃないか」
「分かったような口を利かないでっ!! お兄ちゃん達が私の事を思い出せばそれで良いですって!? 何もわかってない、何もわかってないのね、結局はお兄ちゃんも!! この私の孤独を、この私の絶望を、この私の虚無感を、どうしようもない破壊衝動を、お兄ちゃん、貴方はちっとも分かってなんていないのねっ!? どうしろっていうの、じゃぁ私だけが不幸を背負って死ねっていうの。そんなの、そんなの、私は我慢できないのよぉ!!」
 だから詩瑠、お前が悲しいというのなら、俺が死んでやると言ったんだ。お前の悲しみを受け止めてやると。分かっていないのは、お前の方だよ、もうなにもするな。これ以上自分を追いつめてどうするんだ、詩瑠。
「どうして、どうして詩瑠が二人も。アナタ、これはいったいどういうことなの。私たちの詩瑠はいったいどっちなの」
「どっちもアンタらの大切な詩瑠だよ。白い方も、黒い方もな。いいから、とにかく白い方をなんとかして止めてくれ。このままだと、今の詩瑠が、黒い方の詩瑠が死んじまう。そんなのは、二人とも望んじゃいないんだろ」
「酷いわお兄ちゃん、お父さんたちをそそのかして。お父さん、お母さん、私が本物の詩瑠よ。この黒いのは、私の偽物。ほら、薄らとだけど覚えているでしょう。私は、一度貴方達の前で死んだの。それをこの女が、なかったことにして、私とすり替わったのよ。本当の私は、とっくの昔に、この病院で痩せ衰えて死んでしまったのよ。ねぇ、お父さん、お母さん。二人は、こんな偽物を庇ったりしないわよね。ミーちゃんも、そうよ、ね?」
 そう言って観鈴を見る詩瑠の目には、既に少しの光もなかった。