「御園詩瑠の孤独な悲しみ」


 俺は妹の顔にそっと手を触れた。病気で、小児癌で、抗がん剤投与で、長い病院生活で、皺だらけの顔、色を失った髪の毛、力なく細く骨ばった腕。
 それが俺の妹、御園詩瑠の最後の姿だった。俺が忘れていた、ミリンちゃんのお姉ちゃん。この病院、この病室で死んだ、年の近い俺の大切な妹。
「最初、あの娘が、私の存在をのっとた時、私は、それでも良いかと思ったの。だってお兄ちゃんは、私が死んだことにとても深く、家族の誰よりも悲しんでいたから。だから、お兄ちゃんがこのままだと駄目になってしまうと思って。彼女が私の代わりに、お兄ちゃんの傍に居てくれるなら、お兄ちゃんが傷つかないよう、私の代わりになってくれるというなら、それはそれで構わないと、そう思っていたの。だから、私は、黙って見守っていたわ。皆に忘れ去られても、それで良いって。お兄ちゃんや、お母さんや、お父さんや、ミーちゃん、コロ太が、私の死を乗り越えられないなら、私は別に、彼女に存在を奪われても、彼女が私の代わりになっても構わないと思ったの」
 あの娘、彼女、泥棒猫、嫁殿、味噌舐め星人。もう一人の、俺の妹の顔が思い浮かぶ。もし、詩瑠が生きていたならば、きっと、あのくらいの年ごろだろう。そしてあんな風に美しく、詩瑠は成長していたのだろう。
 つまり、そういう、ことなのだ。
 保険証も、味噌舐め星人にまつわる家族の記憶も、全て、この俺の前に居る、死んでしまった妹詩瑠にまつわるものだったのだ。俺は忘れていた、俺たちは忘れていた、死んでしまった大切な家族の事を。こんなにやせ細ってぼろぼろになって、それでも文句なく、俺たちの幸せを祈って死んでいった妹を、俺たちは、味噌舐め星人という都合の良い存在を信じることで、居ない事にしてしまったのだ。死んでいない事にしてしまったんだ。あぁっ。
「けどね、もう、無理なの。お兄ちゃんや、ミーちゃんの幸せを願って、それで彼女に後を託したつもりだったのに。私は、辛くて、寂しくて、もうお兄ちゃんたちの幸せを祈れなくなってしまったの。お兄ちゃん、誰からも忘れ去られる孤独を知っている。まるで、居ない物の様に扱われる孤独を。私は、私は、御園詩瑠なの。お兄ちゃんの妹で、ミーちゃんお姉ちゃんで、それだけの存在なのに、誰も、私が死んだことを知らないのよ。お兄ちゃん達が私の事を忘れたら、私はいったい誰の心に残るというの。だから、だからこんな他人の振りをして、あの娘に分からないように、お兄ちゃんの前に現れて。でも、お兄ちゃんとあの娘が、幸せになるのが許せなくって、邪魔して、そんな自分が嫌で逃げて、それでも駄目で。忘れさせてあげるって、辛い事なんて全部、お兄ちゃんから忘れさせてあげるって思ってたのに、最後には思い出させようとして。ごめんなさい、お兄ちゃん、勝手なのは分かっているの、けど、私は私は、私は、お兄ちゃん、貴方の妹に戻りたいの。どうして良いか、もう、分からないの、悲しいの、ただ無性に悲しいの……」
「……勝手なもんか」
 勝手なのは、都合よくお前の事を忘れていた俺たちの方だ。
 俺は窓辺に佇む詩瑠の肩を抱き寄せると、その小さな体を包み込んだ。