「塩吹きババアの呪詛」


「……何を言っているんだお前は。感じるべき違和感だって。それが分からないからお前をここまで連れてきたんじゃないか。なんだよ、お兄ちゃんって。誰の真似のつもりだよ。残念ながら、俺の事をお兄ちゃんなんて言う奴は、一人も居ないぞ。いや、ミリンちゃんは最近言うようになったか」
「誰の真似でもないわよお兄ちゃん。まだ、気づかないの。そうね、そういう風に、私も、あの子も、近づいたのだから仕方がないわね。私も、あの子も、お兄ちゃんを気づ付けたくないというただその部分に関しては、同じ気持ちだったから。でも、もう、私は無理よ。私は、これ以上耐えられない」
 さっきから、何の話をしているんだ。俺にはお前の話が分からないよ。いや、元から塩吹きババアの言動が分かった試などなかったが。まったく、だいたい、お前は勝手なんだよ。いつだって、俺の都合などお構いなしに現れてくれて、気ままに振る舞って、気ままに出て行く。俺の深い所に入り込んでおいて、いきなり居なくなって、そして、こうしてまた現れて。忙しくって考えられなかっただけで、心配していなかった訳じゃないんだぞ。これでも俺は、お前の事を家族みたいに思っていたんだから。我儘な妹くらいに。
「お兄ちゃん、それよ、違和感の正体は。貴方は、なんで、年上にしか見えない私を、妹だって、思うの。自分より年下の人間だって思うの。だって、おかしいじゃないの。私はこんなにしわくちゃで、髪だって白くて、どう見たっておばあちゃんなのよ。こんなに醜い私を、どうして、お兄ちゃん、貴方は妹だって感じるの。うぅん、どうして素直に私を妹だと思えないの?」
 だって、お前は、俺とは赤の他人じゃないか、と、言おうとして、俺は初めて彼女が散々指摘してきた違和感というものを感じ、そしてショックを受けた。それは、彼女が俺に悪夢を見せていた張本人であるということを、今の今まで忘れていたという事であった。それは、彼女が俺の事をお兄ちゃんと呼ぶように、夕闇の少女も僕の事をお兄ちゃんと呼ぶことであった。それは、前に家に来たビネガーちゃんが、塩吹きババアは俺たちの血縁者ではないかと言った事であった。それは、それは、塩吹きババアの少し老けた顔の中に、ミリンちゃんの面影が、味噌舐め星人の面影が、そして、この部屋の中と夢に見た夕闇の少女の面影が、全て内在しているという事であった。
 そして、僕は知っていた、この少女の正体を。そして、俺は忘れていた、この妹の存在を。僕が俺へと変わる過程の中に置いてきたもの。自らの意志によって、あるいは何者かの協力によって、記憶という闇色をした深く暗い海の底に、浮かび上がらないように、重しを絡め付けて沈めてしまった、妹の存在、妹の記憶。そう、まぎれもなく、俺の妹なのだ、塩吹きババアは。味噌舐め星人ではない、本物の、俺が喪失した、本当の妹だったのだ。
「ねぇ、お兄ちゃん、もう思い出してくれても良いでしょう。私は、あの子に場所も存在も奪われて、誰からも忘れ去られて、そうして迷い出てきたのよ。お兄ちゃん、ねぇ、思い出して。嫌よ、私、お兄ちゃんにまで忘れられるなんて。耐えられないは、そんな孤独、死ぬことよりもそれは辛いの」
 ミソノシエル、御園詩瑠。俺の妹、死んでしまった、俺の大切な妹。