「夕闇色の少女の幻想」


 何をしてた、と、言われても、別に、俺はその病室にいる少女と話していただけだが。いや、待て、誰も居ないと、初老の看護婦は言わなかったか。誰も居ないというのはどういうことだ。その病室には、あの日俺が会った夕闇色がよく似合う少女が、入院しているんじゃないのか。彼女が入院しているなら、誰も居ないということはないはずじゃ。いや、もし、仮に俺の記憶の方が正しいとして、なら、なんで味噌舐め星人はその部屋を訪れたんだ。訪れようと思ったんだ。俺は彼女に、あの日の出来事にに関して、何も話していないというのに。色々な面で、上手く説明がつかないじゃないか。
 本当に彼女が倒れていたのは、俺と同じ病室なのだろうか。すみません、妹が倒れていた部屋に案内してくれませんか。俺は怪訝な顔をこちらに向ける初老の看護婦に尋ねた。彼女は少し面倒くさそうに顔をしかめると、俺達に背中を向けて、ついておいでと呟いた。待合室を出て靴を履きかえると、老婆はゆっくりとした足取りで西日の差し込む廊下を歩いていく。そんな彼女の後ろを、ミリンちゃんに車椅子を押してもらい俺は追いかける。
 お兄ちゃん、その病室に何があるのですか。何でお兄ちゃんもお姉ちゃんさんも倒れてたのですか。いったい、何をしてたのですか。小さな声で、ミリンちゃんが病室について尋ねてきたが、混乱で頭がどうにかなってしまいそうな俺は、まだ、お姉ちゃんさんが倒れてた病室が、俺が倒れていた病室と同じだって決まったわけじゃないぞ、と、適当な返事をして話の腰を折った。あの部屋には確かに少女が居たはずなのに、ということを、彼女に話したところで、どうなるというわけでもない。ただ、悪戯に彼女を不安にさせるだけだ。本当に、味噌舐め星人が倒れた部屋が、その少女が居るはずの部屋だと分かるまでは、その事に関しては黙っていた方が良いだろう。いや、できることならば、初老の看護婦の勘違いで、話さず済めば良いのだが。理由も分からず、俺はそんな風に思った。とにかく、その話に関して、俺は、ミリンちゃんに詳しい話を聞かせるのはまずい、と、感じていた。
 ここだよ。と、初老の看護婦が立ち止まる。そこは、おぼろげながら俺が先日訪れた夕闇の少女が居た病室であり、ミリンちゃんの表情を伺った所、俺が倒れていた病室で間違いなかった。お前さんが、倒れていた病室と同じだろう。いったいアンタら、兄妹揃ってここで何をしてたって言うんだい。こんな誰も使っていない病室で。そう言った初老の女の視線は、空白のネームプレートへと注がれていた。この病室に、病人は、居ない。ちょっと待ってください、そんな事ないはずだ、だって俺は、ここで少女と会ったのだから。病院服を着た少女と、俺は出会ったはずなのだから。思わず反射的に、俺はその日、ここで起きた出来事を、看護婦と妹に向かって語っていた。そうか、他の病室の子がここで遊んで居たのか、そうに違いない。一人がちに呟く俺に、いや、それはないじゃろう、と、初老の看護婦が残念そうに声をかける。この階に居る子供たちで、他の病室に移動できる程、満足に動ける者などそうおらんよ。なんでですか、と、尋ねた俺の視線が、看護婦達の後ろに、たくさんの管を付けて眠る、白い頭をした少年の姿を見つけた。