「味噌舐め星人の世話」


 空になった食器を看護婦さんが回収に来る。それからしばらくして、回診の先生が俺の部屋にやってきた。先生は俺の足の包帯を解き、一度アルコールで消毒した傷口に赤チンを塗りたくりながら、少しは良くなったね、それでも、あとしばらくは車椅子で安静にしていた方が良い、と俺に言った。あとしばらくというのは、具体的にはいったいどれくらいの期間なのか。退屈な日常に嫌気の差していた俺は、曖昧な期間を示されただけではどうにも納得できず、より詳細な期間を求めた。すると、それまで鼻の下にもっさりと蓄えられた白い髭が頼もしそうだった年老いた先生は、なんとも返答に困ったという顔をして、それは怪我の経過を見なければ分からないね、と、また曖昧な期間を提示したのだった。傷が閉じたとしても、しばらく寝ていたら筋肉もなまってる、後遺症が残っていないか療護の経過も見なくちゃいけないし、リハビリも必要だからね。どうなるか、今の段階では分からんよ。
 思いがけず絶望的な返答を聞いてしまった俺は、憂鬱な気分になった。それから、先生が俺になんと言ったかはだいたいしか覚えていない。これからも安静にすること。退院はしても構わないが、しばらくは車椅子で生活しなさい、だとか、そんな事を言っていたように思う。まぁ、退院できるなら、少しは行動の自由も増える、そうなるとこんな退屈な日々を過ごさなくても良くなる。それは助かるが、問題は生活費だ。つまりお仕事だ。その日暮らしな元フリーターの、少ない蓄えを切り崩して生活するというのには、一抹の不安を感じずにはいられない。労災は降りるのだろうか、ちゃんと復職できるのだろうか、そも、店長の不在をあのコンビニの経営はいったいどうするのか。考えれば考えるほど不安で、さらに体調が悪化しそうだった。
 お兄さん、お兄さん、どうしたんですか、顔色悪いですよ、どうしたんですか。お腹すきましたか、それともお腹いたいいたいですか、お腹ぐるぐるですか。どうしてお腹の心配ばかりなんだ。食うことしか考えていないからか、この食いしん坊星人め。俺の背中に回りこみ、よしよしと子供をあやすお母さんの様に、味噌舐め星人は俺の腹をなでてきた。細いが柔らかな彼女の指先が俺の体を撫でるたびに、俺を言い知れぬ安堵感が包み込んだ。それは先日、紅色に染まった病室で幼い少女に与えられた物とは少し違う感覚であり、安堵の中にどこかささくれ立った様な不安が潜んでいる、まるで薄氷の上に築かれた雪の城の様な、本質的な危うさをどこかに匂わせていた。
 時間の経過も手伝って落ち着いた俺は、少し横になった。昨日の夜に読んだ少年誌を目ざとく見つけた味噌舐め星人が、これ読んでもいいですか、と聞いてきたのでくれてやると、味噌舐め星人も俺と同じように下のベッドで横になり、少年誌を掲げて読み始めた。そう言えば、今日はミリンちゃんが見舞いに来てくれるんだっけか。何時くらいにミリンちゃん来るんだろう。
 味噌舐め星人に尋ねてみたが、さぁ、と、気のない返事が一言。まぁ、落ち目アイドルな彼女のことだ、きっと暇しているだろうし、昼ごろには来るんじゃないだろうか。お兄さん、お兄さん、このイカの女の子、お馬鹿さんですね、お馬鹿さんです、と、お馬鹿な味噌舐め星人が愉快そうに言った。