「醤油呑み星人の憂鬱」


 政治家の汚職、アイドルのホテル帰り、熟女のグラビアに、泌尿器系の病院の広告。コンビニの棚に並んでいる雑誌をいくつか手に取ったが、どの見出しも俺の興味を引くようなものはなかった。普段からそんな雑誌を読まない人間が、入院したからって読み始めるというのは、やはり無理がある。無難に漫画を読む事にして、俺はそこそこメジャーな少年誌の最新号を膝の上に載せる。本当はジャンプが読みたかったのだが、流石は日本一の少年誌等と呼ばれるだけはあって、その姿は本棚のどこにも見あたらなかった。
 そう言えば、財布はどうしたんだっけか。病院服のポケットを弄っても、もちろん入っているわけがない。上の階で眠っている味噌舐め星人の服の中だろう。やれやれ、やられたよ。せっかく連れてきてもらったってのに、これじゃ骨折り損だね。ずうずうしくツケにできないかと店員に交渉するべきか、恥を忍んで醤油呑み星人にかけあって金を貸して貰うべきか、それともさっぱりと諦めて今日は帰るべきか。悩んだ末に、俺が出した結論は、醤油呑み星人に金を借りる、だった。膝に置いた雑誌を棚に戻して、店の出口へと向かう。店員が意味深な笑みを俺に投げかけてきたが、軽く無視した。
 コンビニを出てすぐの所にあるベンチには醤油呑み星人の姿はなかった。黒い革製のソファーは触ってみるととても冷たく、誰もここに座っていないのは分かった。まさか、俺を置いて帰ったというのだろうか。文句こそ多いが律義者の彼女に限ってそんなことはしないだろう。だったら、何故、姿が見えないのか。まさか彼女は宇宙人で透明人間だったのだ、とか。はっ、そんな小説や漫画じゃないんだぜ。と、そんなくだらない考えで頭を使いながらも、手はすぐに彼女が居るであろう場所に向かって動いていた。
 コンビニの裏手、黒いソファーに座って醤油呑み星人は頭を抱えていた。
その表情はつい先日、彼女が店長の眠っている集中治療室の前で、俺達に見せた姿であり、過ぎ去った心の痛みを再び俺の中に呼び起こすに足る、痛ましい姿であった。店長は目覚めたというのに、何をそんなに悲しむことがあるというのだろうか。なんて、そんな簡単な言葉で片付けられるなら、誰も苦労はしないさ。人の心に一度ついた傷はそう簡単な事では癒えやしない。
 結局、声をかけられず、近づくと彼女に気取られると思った俺は、遠巻きにその姿を眺めることしかできなかった。それでも、数分もそうしていれば流石に気取られて、何しているのよ、と、気丈な微笑を見せて、醤油呑み星人は俺を呼んだ。ゆっくりと、何か壊れかけの橋でも渡るような感覚で、僕は彼女の前へと向かう。近づいて見れば、きっとまた泣いていたのだろう、醤油呑み星人の睫が濡れていた。なによ、もう買い物終わったの。それにしては、手ぶらというか、膝の上が随分と軽そうなんだけれども。いや、それなんだがな、財布を部屋に忘れてきてしまって。悪いが金を貸してくれないかと、俺がきまりが悪そうに言うよりも早く、彼女は察して財布を取り出していた。千円でいいわね。無造作に無感情に千円札を突き出すと、にっこりと笑う醤油呑み星人。その表情に、肌寒いものを感じずには居られない。ごめん、一人にしてくれない、と、彼女は言うと、また顔を膝に埋めた。