「夕焼けの日々」


 俺と少女は濃厚になるオレンジ色の太陽光を浴びて、その古めかしい町並みの中を我が家に向かって歩いていた。何もかもが死に絶えたように活気のない景色が延々と続いていく。退屈に夢の中であくびがでそうだ。おそらく実際は、もう少し人や野良猫といった生気の感じられる町なのだろうが、訳あって故郷と決別した俺の心象世界にあっては、それはうち捨てられ長らく人の訪れることのない廃墟の様に、一抹の寂しさしか感じさせなかった。町から出て行く過程がもう少しまともだったなら、違っていたならば、少しくらいは俺も懐かしさというのを感じられたのかもしれない。
 ねぇ、ねぇ、お兄ちゃん、お兄ちゃん、小学校と違って、中学校は楽しいの。とっても、楽しくって帰ってくるのを忘れちゃうの。と、少女は俺に聞いた。いや、特に楽しい事はないよと、俺は答えた。じゃぁ、じゃぁ、なんで、あたしの為に早く帰ってきてくれないの。お兄ちゃんが居てくれないと、あたしはひとりぼっちで寂しいんだから。ねぇねぇ、だから、早く帰ってきてね。私と遊ぶために、お兄ちゃん、早く帰ってきてね。少女はその小さな手で俺の手を強く握りしめ、ねだる様な視線を俺に向けた。友達が居ないのだろうか。友達と一緒に遊んだらどうだ、とは、ちょっと言えない。あぁ、これからはできる限りお前の為に早く帰ってくるよ。夢の中で嘘にならない嘘を吐くと、俺はまた少女の頭を優しく撫でた。すると、まるで彼女は子犬の様に体を震わせて喜ぶと、お兄ちゃん、お兄ちゃん、大好きよと俺に抱きついてきた。柔らかい、強く抱きしめれば、壊れてしまいそうな、そんな体だった。ずっとずっと、絶対に絶対に、あたしのことを忘れないでね。あぁ忘れないよと、俺は優しい手つきで彼女の黒い髪を撫でた。お兄ちゃん、お兄ちゃん、約束よ。あぁ、約束だ、絶対に忘れないよと、俺は彼女の小さな小指に自分の小指をかけた。ゆびきり、げんまん、と、少女が笑った。
 流石に家に着くと少しくらいは懐かしい気分になった。わぁいと、少女は声を上げるとスニーカーを脱ぎ散らし、その裾の長いワンピースをひらひらと揺らして、家の奥へと駆けて行く。駄目だよ、ちゃんと靴は揃えて脱がなくっちゃ。中学生の俺はそんな大人の俺も感心しそうな事を言って、少女のぬくもりの残る靴を揃える。そして、自分も靴を脱ぐと、脇に置いてあるスリッパかけから一つを取り出して、それに足を通した。黒い革底の大人用スリッパは、踏み鳴らせば軽快に床を打って、いい音を奏でてくれた。
 帰っていたのか、と、風呂場から親父が顔を出した。まだ頭の髪の毛が今朝ほど薄くなかった頃の、それでも友人や同級生に見られては恥ずかしいくらいには薄かった頃の親父だった。あれ、父さん、こんな時間にどうしたのさ。いつもと比べると、ずいぶん早いね、と、中学生の俺は親父に対して、丁寧すぎるくらいな返事をした。まだ、この頃は、僕たちの間に何も問題も起きていなくて、俺と親父の関係も普通の親子に変わりなかったのだ。母さんが今日から病院で家事をする人が居ないだろう。だから、会社の上司に掛け合って、しばらくは早く帰れる様にしてもらったんだ。それはそれは、何とも子煩悩なことで。そんな風に家族にまで気を使うから禿げるんだよ。