「病院の朝」


どうしようもない殺意に満たされてしまった俺の上にも、等しく朝はやってくる。あの後、身を焦がすような強烈な悪意に身もだえて、ろくに眠れない俺は、とうとうそのまま朝を迎えた。五階にあるからだろうか、窓から日光が差し込んできたのは、普段俺が起きる時間よりも、さらに二時間早かった。こんな所に済んでいたら、とても寝不足で、仕事なんてできないな。
 ぐっすりと眠っている味噌舐め星人には悪いとは思ったが、朝の退屈な気分をどうすることもできない俺は、ベッドの横に置かれていたリモコンを持つと、テレビの電源を点けた。すぐにトーンの低いニュース番組が流れる、どうやら、新聞と同じで俺たちの身に降りかかった事件は、テレビでもすっかりと過去の話になっているらしい。あの日、俺たちを襲った男の顔でも流れるかと、俺はニュースを眺めていたが、流れてくるのは政治家の汚職や、有名人の訃報、そしてくだらない食べ物ランキングだとか、そんなどうでも良い話ばかりだった。これなら外の景色を見ていた方が幾らか楽しいかもしれない。ものは試しにとチャンネルを変えても、強盗犯の顔はおろか事件があった事すら報道されておらず、結局、俺は外国語の番組をやっているNHK教育にチャンネルを合わせると、そのままゆっくりと目を閉じた。無駄に元気な民法の番組よりは、こっちの方が気分を紛らわすのには良さそうだ。
 うつらうつらと意識が明滅し、体から力が抜けていく。眠れるかなと思った矢先に、滑車を回したような大きな音がして、俺は目を見開いた。おはようございます。本当に起きてらしたんですね。さぁ、久しぶりの朝ご飯ですよ。扉の前に立った中年女性がにこやかに言う。手には緑色の盆と、不味そうな色をしたご飯と、やたらと黄色い卵焼き、赤いお椀のみそ汁が見えた。彼女は扉を閉めて俺が寝ているベットへと近づくと、片手でヒョイと横にどけられていたベッドの柵にかけるタイプの机を持ち上げる。そして、味噌舐め星人の頭から少し上の辺りにそれを置くと、さらにその上に不気味に色鮮やかな病院食を置いたのだった。一時間ほどで取りにきますから、まぁ、久しぶりの事ですし、ゆっくりと食べて見てください。お茶もここに置きますからね。小さな水筒をお盆の横に置けばまた彼女は笑う。眠る味噌舐め星人の頭を軽く撫でると、その中年のおばさんは扉の方へと歩いて行った。
 扉に手をかけると横にスライドさせて、そのままこの部屋から去ろうとしたおばさんだったが、ふと、立ち止まると俺の方をもう一度振り返った。そうそう、伝えるの忘れてました。伝言を頼まれていたんですっけと、彼女は顔を赤くして言うと、再び俺の前へと戻ってくる。あのですね、先生が怒ってらっしゃいましたよ。絶対安静なのに、勝手に車椅子から立ち上がって歩いたりなんかして。駄目じゃないですか。歩けなくなっても良いんですか。せっかく治りかけているんですからしばらく我慢してください。
 あぁ、そう言えば、昨日、上の階で女の子と会った時に、俺は、立っていたんだっけか。そして、確か傷口が開いて足から血が出ていたはず、だ。
 鈍い痛みが足に走る。味噌舐め星人の頭の向こう、俺の足先を見れば、まるでミイラかなにかのように包帯に縛り付けられた俺の足が見えた。