「紅色の少女の甘言」


 窓辺の少女のあどけない笑顔に、俺は思わず心を奪われてしまった。なぜだろうか、あまりに彼女が美しく過ぎて、息を止めてそのまま窒息ししてしまいそうな、そんな気分。性欲でもなければ、独占欲でもなく、父性愛でもなければ、恋心でもない、不思議な愛おしさに、俺の体が痙攣を起こしたようだった。どうして、俺は彼女にそんな名状しがたい感情を覚えるのか。なんなのだろうか、この懐かしさは。分からない。ただ、今、この瞬間、彼女と出会えたことが、なぜだかとれも俺は嬉しくて。この地獄とも言える今日という日に、唯一見つけた幸運の様に、彼女との出会いが感じられた。
 少し、目が潤んで、俺は手の甲でそれを拭った。すると窓辺の少女は心配そうな顔をして俺に近づいて、そっと、俺の顔に手を伸ばした。彼女はとても背が小さくて。それはもう、ミリンちゃんよりも小さいから、とても僕の目に触れることはおろか、顎先にだってその小さな手は届かなかった。それでも背を伸ばして何とか僕の顔に振れようとするのが愛おしくて、可笑しくて。悲しかったのも忘れて、ふっと吹き出した。彼女は、僕が笑ったと見るや、一生懸命慰めようとしているのに、なんで笑うのよ、とでも言いたげにきょとんとした顔した。そして、まぁいいわという感じにすぐに微笑んだ。
「ねぇ、お兄ちゃん。何か悲しい事でもあったの? とても辛そうな顔をしているわ。涙まで流して。よかったら、アタシに話してくれない」
 この子に話してどうにかなるものではない。僕の足が切りつけられたことも、店長が切りつけられたことも、僕がしばらく絶対安静なことも、店長がいつ目を覚ますか分からないと言うことも、すべて既に起こってしまったことであり、彼女の預かり知らぬ所で起こっていることなのだ。彼女に話した所でどうにもならない。しかし、そうとは分かっていても今の僕には、彼女に話さない訳にはいかなかった、話さずに心の平衡を保つことはできなかった。今の僕には、どんな方法でも良い、ただ、この痛みを少しでも和らげてくれる何かが必要だった。それが、この少女だと、僕は直感したのだ。
「僕の大切な友人がね、悪い奴に刺されたんだ。彼は何も悪くないのに、いきなり悪い奴がやって来て、彼を刺したんだ。僕は彼を助けられたんだけれど、けど、足を怪我していて、そうでなくても彼を助けに行くには遠くて、彼を助ける事ができなかったんだ。なんとか、彼は命を取り留めたけど、もう、起きてこないかもしれない。それも悲しいんだけれど、彼には大切な人が居て、その人を、大切な人をなくして絶望しているその人を見ていられなくて。どうしてこんな事になってしまんだって。僕達は、ただ、毎日を精一杯生きていただけなのに。誰にも迷惑をかけないようにって、生きていただけなのに。どうして、こんな酷い目に会わなくちゃいけないんだろうって思うと、僕は、僕はもう、悲しくて、ただ悲しくて、それで、それで……」
 嘔吐感が再び僕の腹を襲う。何も出ないというのに、僕は少女の病室でひれ伏して、床に向かって何度も何度も獣のような叫び声をぶつけた。殺気立つ僕の背中に、少女は優しく手をあてて擦ってくれた。そして。
「ねぇ、お兄さん。すべて忘れさせてあげるわ、辛いことなんて、全部」