「夕闇色をした少女との邂逅」


 鼻から通されたチューブと注射針が刺さった腕が痛々しい。店長は仰々しい機械の中で、いつになく真剣な顔をして眠っていた。いつもの、あの、人懐っこい、とても中年とは想えない、愛嬌のある笑顔は、店長の顔の上からすっかりとどこかへと行ってしまって、残された彼の顔は、なんだか、死んでいるように俺には見えた。けれども彼の腹は、確かに生命活動を止めまいと、腹式呼吸を繰り返していて。なんだか俺にはそれが、とても憐れに想えて、なんだかとても苦しんでいるように見えてならなくて、目を背けて少し泣いた。店長、店長、なんでそんな顔しているんだ。なんであんたが、そんな顔をして寝ていなくちゃならないんだ。いつものように笑ってくれよ。俺は男だけれども、あんたのその笑顔はちょっとは素敵だって思っていたんんだ。俺は仕事のできないアンタをそれはもうあからさまに毛嫌いしていたれど、それでもアンタが笑って俺に仕事を頼むから、しょうがないなと思って止めずに続けてきたんだぜ。なぁ、どうしてそんな辛そうな顔をして、アンタがこんな所で眠らなくっちゃならない。どうしてこんな事になったんだ。
 理不尽な運命を呪って俺の目から涙が零れた。あれだけ馬鹿にしてきた店長の為に流す涙が、俺の中にあるのが不思議でならなかった。俺はそれ以上店長の顔を見ることができず。ありがとう、ございます、と、店長の父に言いお辞儀をすると、自分で車椅子の車輪を回して集中治療室を出た。
 扉を閉める時に醤油呑み星人が店長の手を握っているのが見えた。抱き込むようにして彼女は彼の手を自分の腹に押し当てると、俺よりももっと悲しい涙を流して、小さな嗚咽を繰り替えしていた。はたして残された俺に、いや、俺達に彼女を救う事ができるだろうか。少し考えて、俺は結論を出すことを諦め静かに集中治療室の扉を閉めた。外は夕闇に紅く染まっていた。
 俺はそのまま自分の病室に戻ろうかと思い、集中治療室から少し離れた所で看護婦が通りかかるのを待った。しかし、どれだけ待っても看護婦は通りすぎなくて、その内どうにも耐えられないくらいお腹も減ってきたので、自分で車椅子を回して部屋に戻ることにした。忙しく車輪を回し、俺はミリンちゃんに乗せてもらったエレベータを目指すが、車椅子という慣れない乗り物に、腕が疲れて思うようには進めない。ふと気がつけば、病棟を包む夕闇は濃くなって、人気のないような静かな空気と混ざりあって、なんとも言えない寂しさのような、ともすれば恐怖のようなものを俺は背中に感じた。
 どうしてこの病棟はこんな死んだように静まり返っているのだろう。病院だからと言って、この静かさはちょっと異常じゃないか。そう言えば、さっきから俺は看護婦以外にだって、誰一人として人とすれ違っていないじゃないか。これはどう言うことだろうかと、また、俺の心の中で恐怖の色が濃くなった。誰か、人を探さなくては、そんな強迫観念が湧き上がってきて、俺は病室を覗いてみた。すると、四人部屋の窓辺に、一人の少女が座って夕日を眺めているのが目に入った。まるで、その夕日に溶けてしまいそうな、そんな感じの少女だった。どことなく、顔つきは俺の妹に似ている気がする。
「あら、お兄ちゃん、そんな所で何をしているの?」