「味噌舐め星人の口唇」


 俺がカーテンを閉めると、味噌舐め星人はまるでやることがなくなったという感じに布団に寝転がって、暫くすると静かに寝息を立て始めた。つけっぱなしのテレビには何の興味も示さない。何かが違っていた。窓から暗い世界を覗き込んでからという物、ある意味では毎夜窓を覗くようになってからというもの、彼女は、いつもの彼女とは違う存在に、そもそも本質的に違う存在になってしまったように俺には感じられた。その違いというのが、雰囲気や、顔色といった、俺の主観による曖昧な物であり、ある意味で一時的な表象に過ぎないのかもしれず、本当に彼女が変わってしまったと断言するに足る、確たる論拠は何もないのだけれども。それでも、彼女と長く暮らしてきた俺には、彼女が大きく違う存在に変質してしまった様に思えたのだ。
 俺は電気を消すと、味噌舐め星人の隣に敷かれた布団の上に寝転がった。いつもならば寝る前にはパジャマに着替えて眠る彼女だったが、今日は普段着のまま彼女は布団に横になっていた。黒いタートルネックの体は、部屋の中の闇によく彼女を馴染ませ、俺に彼女を捉えさせるのを邪魔してくれる。こんな事なら買ってやらなければよかったかなと、俺は、辛うじて蔵闇の中でそれと分かる味噌舐め星人の白いうなじにそっと手を這わせた。温かい。彼女の肌はしっかりと人の温もりを持っていた。それを確認すると、俺は彼女をまた味噌舐め星人として認識できた様な気がして、どこか遠くに見える彼女を近くに感じる事ができて、少なからず心が落ち着くのであった。
 そのまま寝ては風邪を引くぞと、俺は味噌舐め星人の足元に転がっていた布団を引き上げると、彼女を起こさないようその体に優しくかけた。
 夜は極めて均質に時を刻んで、俺達の上を冷たく過ぎて行った。
 ふと、味噌舐め星人が寝返りを打った。閉じられた双眸は細く、短く整った睫毛が不思議と輝いていた。桃色の唇は舐めずったのかみずみずしい。子の口で、味噌を毎日舐めたくっているのかと思えば、少し、味噌の事が羨ましく感じられるあたり、俺ももうそろそろ眠たいのだろう。ふと、俺はどうにも彼女の事が愛おしくなって、彼女の体に無性に触れたくなって、少し体を彼女の方へと寄せる。布団と毛布の中に音もなく半身を忍び込ませると、その柔らかな肩に手を載せた。横臥して彼女を半分だけ抱く格好になった俺は、ゆっくりと、彼女の唇に自分の顔を近づけて、そして、重ねてみた。唇の先が柔らかくみずみずしい何かを感じて、俺の胸が弾けるように高鳴る。このまま彼女をもっと身近に感じる為に、静寂を破り、欲望に身を任せようかと、心は惑いに惑った。視線は、闇に輝く二つの睫。それはどれだけ待っても開くことはない。もう少し、あと少し、と、俺の体の中に巣食う、孤独を悲しむ哀れな自分が、今ここに堰を切って溢れようとしている欲望の波面をかき乱す。しかし、俺は、それを何とか理性で押しきった。それは、こんな不意打ちの様な形で行って良いものではない。しばらくして俺は彼女から顔と手を離した。どうしようもない事をしてしまった恥ずかしさに、罪悪感に、とてもこうしてはいられない、彼女の姿を見てもいられない。俺は味噌舐め星人に背中を向けると、深く布団をかぶって瞼を固く閉じた。