「味噌舐め星人の王蟲」


 俺の足元に積もりに積もった塩はそう簡単に底にたどり着けるほど浅くは無かったし、その塩を捨てるあてさえもなかった。それでも、俺は両手いっぱいに足元の塩を掬っては、それを横に投げ捨てた。俺の夢の中から塩吹きババアの残り香を伴った塩を描き出そうと、いつしか必死になって。俺は、ただただ足元の白い粉を、かき集めては投げてを繰り返したのだった。
 寝汗すら掻いていない爽やかな目覚めだった。カーテンの隙間から部屋に入り込んだ太陽光で目を覚ました俺は、まずは寝返りを打って隣に眠る味噌舐め星人を見た。布団越しに襲ってくる朝の寒さに、頭から布団をかぶって団子のようにまるまっている味噌舐め星人。まだ、起きてはいないようだ。次いで彼女の頭上にある壁掛けの時計を見れば、時刻は十一時。とうに朝食の時間を過ぎて、昼食の時間だ。まぁ、だからどうしたと言うこともないのだが。休日ならば、まずまず起きるのに妥当な時間という所だろう。
 味噌舐め星人を起こさないように気をつけて、俺は布団をたたむと台所に向かった。ここ数日仕事が忙しく、家を留守がちにしていた事もあって、俺が不在の間に味噌舐め星人が勝手気ままに荒らし回った台所の惨状たるや、正視に耐えぬを通り越して、正視できぬ有様だった。蛇口に迫らんと、シンクに溜まった食器の上に、底を上にして乗っかったフライパン。さらにその上に、いったい何をどうすればそうなるのか、黒茶色い味噌料理がぶちまけられていて、強烈な異臭を鼻って鼻を曲がらせた。味噌汁以外の味噌料理を作ろうとするとこれだ。もう彼女の料理という名を借りた実験の後始末をするのには随分と慣れたが、この異臭だけはまだなれない。いったい、どんな調味料を加えれば、こんな、プラスチックを焦がした匂いと、道の側溝に溜まったヘドロを混ぜて煮染めて仕上げに酢を入れたような匂いになるのか。
 固形物を三角コーナーに放り込み、油汚れを勤め先のコンビニから貰ってきた新聞して拭い、洗剤をたっぷり付けたスポンジで擦りあげる。味噌舐め星人が施した油のコーティングの前に、スポンジはすぐに泡立たなくなり、洗剤が鬼にまくしたてられるような早さででなくなっていく。これならば、毎日弁当を作るなり、勤め先の廃棄弁当を持ってきてやるなり、なにか手を講じた方がよさそうだ。やれやれ、と、ため息をつくと、俺はシンクの横にある水切り台に置いた食器類を丁寧に布巾で拭い、元あった場所に戻した。
 フライパンに油を落とす。次いで、すぐに卵を落とす。砂糖を無造作に振りかけて、さえ箸でこれでもかとかき回すと、フライパンから皿に戻す。電子レンジで解凍していた肉を取り出すと、卵の代わりにフライパンに放り込む。すでに卵を焼いた時に油が染み、ついでにしっかりと熱も通っていたフライパンは、そぼろを載せると食欲をそそる良い音を立てた。そこに醤油の代わりに水で溶いた味噌とみりん、少量の砂糖を加えてしばし煮詰めれば、味噌そぼろの出来上がりだ。床に転がる炊飯ジャーから、丼ぶりにごはんを盛って、その上に半分ほどの量のそぼろと卵をかければ、味噌そぼろ丼の完成。ふと気がつけば、良い匂いにつられたのか、もそもそと床を這って王蟲が俺の足元に迫っていた。朝ですかぁ、ご飯にしましょうよぉ、お兄さん。