「味噌舐め星人の就寝」


 ポケットの中で握れば痛むほど冷えた鍵を、俺は扉の鍵穴に差し込む。手首を回せば鈍い音がして、立て付けの悪い扉は揺れた。鍵を引き抜き、代わりにドアノブを握ると、部屋の中に入る。外よりもいっそう暗い部屋の中にあって、正面の窓から差し込んでいる月の光だけが色を落としていた。
 そんな月明かりの中で、倒れるようにして眠っている味噌舐め星人に、俺は静かに歩み寄った。既に寝てから随分と経つのだろう、枕元には涎が小さな水たまりを作っている。よほど深い眠りについているのだろうか、彼女は身悶ることもせず瞼を閉じつづけていた。そっと、起こさぬように気をつけながらその髪を撫でる。頬に触れる。柔らかな感触に、伝わる人の体の温もり。なぜだか、俺は彼女から得るそれに強い安堵感の様なものを感じた。
 隣に引かれている布団の中に転がり込むと、天井に張り付いた闇を凝視する。木目柄を持つその闇を睨めるのに飽きると、俺は瞼を閉じる。コーヒーに落としたミルクのように、徐々に黒色に同化し混濁する意識と視界。茶色い世界に意識が落ち込んだかたと思えば、また俺は白い夢の中に居た。
 境界線を消しゴムでかき消されたかのような、広大にして曖昧な空間の中で、俺はいつか俺の体にまとわりついてきた、味噌舐め星人と砂糖女子の姿を探した。塩吹きババアの姿も探した。しかし、どれだけ探しても、その白い世界の中に彼女達の姿を見つけることはできず、結果として、自分がこの世界にただ一人、紙に落とした墨汁の様に存在している、寂しい存在なのだと自覚させただけであった。結局は、あの味噌舐め星人も砂糖女史も、塩吹きババアの作り出した幻想だったのか。不躾に俺の下半身で自己主張している分身が、彼女達を求めて激しく疼き戦慄いていた。夢の中で顕在化した、頭の中に存在する本能の獣が、白い世界のどこかで遠吠えをあげていた。
 ぽっかりと空いてしまったこの白い世界を埋めなくてはいけないな、と、俺は唐突に思った。いったいどうやって埋めればいいのか、なぜ埋めなければいけないのか、そもそもこの白い世界はなんなのか、俺には皆目検討がつかないのだが、ただ、なんとなく、そうしないと、俺は自分が自分でなくなるようなそんな気がした。この空白の空間を、俺の中の空白を、俺は許すことはできない、許してはならないと、感じたのだった。かと言って、そう思う所で、夢の中の無力な俺には、どうすることもできないのだけれども。
 白い夢の中にあぐらを掻いて座る。重さを逃すように地面が揺れた。無限の広がりを見せながら、確固とした物理法則を持ち得ている夢をおかしく思いながら、俺はその白い地面が何でできているのかを観察した。小さな結晶が指先には張り付いている。舐めれば、辛く、塩であることが分かる。塩の世界だ。塩吹きババアの名残りだろうか。するとこの風景は、この世界は、塩吹きババアが作り上げた物なのだろうか。指先の塩を舐め取りながら、俺は当面はこの塩をどうにかすることに力を注ぐべきだと思った。この塩をどこかに掻き出してしまうのだ。そうすれば、俺はこの無断占拠されてしまった、俺の頭の中にある空白の世界を、塩吹きババアから取り返せる。取り返せば、この色の無い夢にあった何かを取り戻せるのではないかと、思った。