「B太とメジャー」


 丑三つ時に住宅街は眠り、辻に立つ電灯に虫が焼かれる音がやかましい。言葉を失した俺たちは、ただひたすらに足を動かして、暗い夜道を肩を並べ家路を急ぐ。電灯がまぶしい辻を少し離れれば、前方は薄い靄がかった闇、足元には重力に押し込まれた深い闇が這っていた。闇の中を土地勘を頼りにさ迷うこと十数分、B太と俺の家路が別れる交差点に俺たちは辿り着いた。
 それじゃ、俺は、ここで。先輩、明後日は頑張りましょう。まるで、何事もなかったかのように、いつものバイト帰りのように、そう言ってB太はギターを揺すって俺に背を向けた。その背中を見つめれば、先ほど彼が俺にサクラを頼んだときのように、どうするんだと、俺に聞いてほしそうだった。ここまで来るまでにB太一度だって言葉を発しはしなかった。悩んでいるのだろう。仕方ない、レコード会社の社長から直々に声をかけられたのだ、悩まない方が無理というものだ。音楽で大成しようと人知れず頑張ってきたB太にとって、ジャンルは違えどメジャーからの誘いは魅惑的に違いない。
 どうするつもりなんだ、と。俺はB太に聞いた。それを聞いた所で、俺に良いことなど何もない。B太の心を整理するための、純粋なボランティア、同業者への仲間意識、そして自分を慕う弟分へのおもいやりが、俺にその言葉を発させた。俺の言葉を受けB太が立ち止まる。表情を見られるのが嫌なのか、単に面倒くさいのか、B太はこちらを振り返ろうとはしなかった。
 俺、正直、自分に才能があるなんて思ってなかったんす。ずっと、駅前であぁして引いてきて、誰も足止めてくれなくて、誰も声かけてくれなくて、それで、あっ、俺、誰の心にも残らないんだなって、誰の心にも俺の言葉は届かないんだなって、そんな風に思ってて。音楽で食ってきたいってのも、ギターやり始めた頃よりだいぶ薄れて。路上でライブするのも、なんか、途中で止めちゃうのは駄目だと思って、負けっぱなしは格好悪いと思って。ただそんだけの気持ちで続けてたんっす。一度くらい、パッと、周りにウケてもらえたら、それでもうすっぱり諦めて、先輩みたいに、今のコンビニの正社員になって、足洗おうかなって。そんな、こと、考えてたんす、最近は。
 B太の握りしめた拳が震えていた。それは才能を認められたことへの嬉しさか、それとも、今までその愛想笑いの下に溜め込んできた悔しさか。
 こんなタイミングで才能あるって言われても、俺、自分のこと信用できないっすよ。才能あるなら、もっと、早い段階で皆に分かってもらえたんじゃないっすか。本当に俺に才能があるなら、人を惹きつける何かがあるっていうなら、路上でも普通に人気が出るはずなんじゃないんすか。ねぇ、先輩。
 感情に任せて喋りまくるB太に、何が言いたいんだと俺は冷徹に尋ねる。彼は顎を引き地面を見つめるように首を傾げると、意を決して口を開いた。
 無理っすよ。俺。やっぱりできないっす。やれる自信がないっす。
 そうかい、でも、無理と分かっていても、やりたくない訳じゃないんだろう。間髪を入れずに、俺はB太に言った。何を言っているんだと、驚いて振り返ったB太に、俺は笑って言ってやった。やれるって、俺に言って欲しいんだろう。さっきから、やりたくないとは言ってないじゃん、お前。