「B太は駅前のロッカー」


 シーツの海に泳いでいた女が、動きを止め、首をもたげて俺たちを見ていた。肩甲骨辺りまで伸びた髪の毛は少しのたわみもない直毛。眠たげに半分瞼が下ろされた瞳だが、それでも幾分鋭い。一重瞼に翡翠色の瞳を持っており、眉と睫毛は少ないが色濃く、細い中にも強かさを見る者に感じさせる。鼻先は少し高い。血のルージュでも塗ったような唇は小ぶりで、見るものを誘惑するように顔の中に咲いている。西洋人形とはまたどこか違う、その青磁のような肌の白さも相まって、俺は彼女に中国人形の様な印象を覚えた。
 ニーハオ。息を飲むような綺麗で流麗な声でベッドの上の彼女が言った。それで非現実的な世界に足を踏み入れてしまったB太くんは、現実に引き戻された。わっ、わっ、わっ、すみません、すみません、部屋間違えました、ごめんなさい、失礼します。部屋の中に入ったらベッドで全裸の女の子が寝ていたのだ、訳も分からなくなっても混乱するのは無理はない話だ。見かけに反して、意外と純情なB太くんだから尚更だ。しかしまぁ、部屋を間違うも何も、お前は連れてこられただけだろうに。前後の事の流れを喪失してしまうくらいに、裸の女性が目の前に現れたことは、彼にとってショッキングな出来事だったらしい。おいおい、何も間違えていないさ、なぁリンリン。今にも部屋から飛び出そうとするB太を、後ろから襟を鷲掴みにして止めた都路社長は、そう言って、ベッドの女性になんとも怪しい微笑みを向けた。
 あれはうちお抱えのミュージシャン兼私の愛人でな、リンリンと言う。中国人だが、そこそこに日本語はできるし、歌も楽器も上手い、それとなく気も利くとてもいい娘だ。なので、旅行に行くときは特別な用事がない限りは一緒に連れていくことにしているんだ。あぁ、驚かせてしまったね。すまない。はぁ、そうなんですかと、顔を真っ赤にして、B太は背中を丸めて言った。男から女になったというのに、侍らせるのは女なのかよ。釈然としない思いを抱えながら、俺は隣にB太を、前に小さなテーブルと都路社長を見ながら、心地少し固い部屋の椅子に座っていた。テーブルの上には灰皿と、都路社長が取り締まっている会社の名が印字されたファイル。都路社長はそのファイルを手に取ると、何枚か書類を捲ってから、B太の前にそれを開いた状態で置いた。そこに描かれていたのは、有名なロックバンドの名でもなければ、アイドルグループの似顔絵でもなく、渋く着物を着付けたおっさんでもなければアニメでもなかった。サックスとピアノ、ギターとドラム。
 色鮮やかなポスターの中に白地で打たれた字は、JAZZ。ジャズだ。
 なんとなくだがね、私なりに君の適正を考えると、これじゃないかなと思うんだよ。君ね、自分では気づいてないかもしれないけど、歌は最悪だが、演奏技術は非常に高いんだよ。だから、誰も君の歌には足を止めないけど、君の演奏まで止めようという気にはならないんだ。おいおいちょっと待て。そんな、たかだが数分B太を見ただけで、簡単に人の適正なんてわかるもんか。B太はロックがやりたくて頑張ってたんだぞ。まるでB太の意志を無視するような都路社長の提案に、俺は部外者にも関わらず突っかかっていた。
 分かるさ、私は社長だ。どうすれば一番売れるかは、少し聴けば分かる。