「B太の才能」


 俺、やっぱ才能ないんすかね。酔っ払いが見えなくなり、引いていた曲を終えたB太が肩を落として俺に尋ねた。顔は今にも干からびてミイラになってしまいそうな窶れ顔。そんな表情を見せられては、心ない鬼畜でもない限り哀れと思う他ない。ただ、やさしい言葉をかけてやるべきなのかどうか。ここいらで一つ、彼に才能の限界という奴を自覚させてやるのも、世の中の酸いも甘いも噛み分けてきた、年長者の勤めという奴ではないのだろうか。ベンチに座りながら、前方の前のめりになって落ち込んでいるB太を眺め、思案すること数分。悩んだ挙句、俺は慰めつつ、それとなくB太に、音楽の才能が無いことを自覚させることにした。これまで放っておいてなんだが、若ければ若いほど、やり直しという奴は効く。止めるなら、今しかない。
 いや、才能無いって事はない。人を不快にさせない音が出せるって言うのは、一種の才能だと俺は思うけれどね。しかも、そんなにやかましくかき鳴らしておいてっていうのが、ちょっと不思議だ。君みたいな奴は、始めてみるよ。B太を説得しようとしたまさにその時、背後から妙に甲高いトーンの声がした。気づけば、俺の顔の上をB太が見つめている。後ろに誰か立っている。見上げるように後ろを振り返れば、月と赤いコートの女が小さく笑っていた。黒くて長い髪をした女、でこの広い女、冷たそうな肌の女。彼女が普通の人間でないというのは、変な人間を多く見てきた俺にはすぐ感じ取れた。味噌舐め星人や醤油呑み星人とはまた違う、どちらかと言えば酢堂や砂糖女史に近い感じ。カリスマだとか、変態だとか、そんな類の変人だ。
 君、ここら辺で毎日弾いてるんだって。そこの居酒屋の店長に聞いたよ。随分と根気があるな、髪型にも気合入ってるし。今時の若いのにしちゃ珍しいよ。まぁ、根気でどうにかなるようなら、世の中もっと住みやすいだろうけれど。あっ、タバコ吸うけど良いかい。構わないっすけど、と、少したじろいで返事をしたB太。次いで、彼女が俺の方を向いたので、すかさず俺も頷いてみせる。すると、怪しく微笑んだ彼女は、控えめな大きさの胸元から太い葉巻を取り出した。あまり見かけない、へしゃげたプルタブのような物に葉巻の先を突っ込むと、紅紫のネイルがついた指先でその端を摘む。葉巻の先端が落ちて、それがカッター的な役割を持つものだと理解した頃には、彼女はその先端を橙色に赤熱させて、白い煙を闇の中に燻らせていた。
 あっ、アンタらもやる。葉巻。安物だけれど紙巻きタバコとは全然違うわよ。いや、俺はいいですと、B太は手を振った。俺はと言えば煙草は多少吸うが、高級な葉巻をおいそれと貰える程厚顔無恥な訳でもなかった。俺が首を振ると、赤いコートの女は少し残念そうな顔をして葉巻を口に咥えた。
 うちの若いマネージャーがね、深夜のここの駅前に変なのがいたから見てこいって五月蝿くてさ。そいでまぁ、こっちの方に野暮用もあったし、万が一にも逸材だったらと思って一応覗いたんだけど。なんともまぁ、アンタ、微妙だねぇ。鍛えりゃ少しは使えるかもだけど。あっ、そう、これ名刺ね。
 何故か俺に名刺を手渡す彼女。名刺は知らぬ物は居ない大手レコード会社の名と、代表取締役社長の肩書きと都路宏太郎という名前が書いてあった。