「ミリンちゃんのお姉ちゃんはふしんきんだ」


 診療受付終了の五分前になんとか病院に滑り込んだ俺は、ミリンちゃんに代わって受付の予約表に名前を書いた。そこは初めて訪問する個人経営のこじんまりとした町医者だった。よほど人が居ないのか、定年を過ぎていそうな顔つきの妙齢のナースが、静かに受付をしていた。そのナースに兄妹ですか、やさしいお兄さんですねと微笑まれると、少しむず痒い気分になった。もっとも、すぐに戻ったソファーで、優しいなら病院になんて連れてこないのですと、ミリンちゃんに悪態を吐かれてそんな気分は薄らいだが。そう、ミリンちゃんはこれでいて重度の病院嫌いだった。食べ物でも飲み物でも、物事でも人物でも、嫌いなものの多いミリンちゃんだったが、これだけは本当に嫌いだった。それはもう、病院へ行くぞというと、家の中の柱や机、ありとあらゆるものにしがみつき、連れていかれるのを拒否するくらいに。だから今日だって、彼女に病院へ行く事は伝えなかったし、病院へ向かっているのが最後まで分からぬよう、ミリンちゃんがこの地域の病院を知っているかどうかは別として、看板等のない道を慎重に選んで歩いてきたのだった。
 なぜミリンちゃんが病院を毛嫌いしているのか、俺はよく知らなかった。注射が嫌いなのか、はたまた薬品臭い空気が嫌なのか、それとも見知らぬ他人に体を触れられるのが嫌なのか。まぁ、理由が分からなくても、医者が嫌いという感覚は分からないでもない。かくいう俺も、あまり自分から病院に来るようなことはなかった。コンビニの健康診断で通った程度である。ミリンちゃんと違い、金銭的に風邪を引いても医者にかかる余裕がないという理由もあったが、それよりもなによりも病院の雰囲気が嫌いだった。この、生命力の欠片も感じられない、静かな空間の中に居ると、病気で居るよりもなんだか病的な気分になってくるのだ。だから、俺は滅多な事では病院へ向かうことはなかったし、薬も極力、スーパーの民生薬で済ますようにした。
 ここは良いですね、漫画がいっぱいあって退屈しませんね、毎日来たいくらいです。病院嫌いの俺たちと違い、味噌舐め星人だけが、なぜか不必要に楽しそうだった。わくわくした表情で、今週号のサンデーをめくる彼女に、俺は虚脱感を覚えずにはいられなかった。お前な、そんな能天気な事を言うなよ、ミリンちゃんを含め、こっちは風邪や病気が苦しくてこんな所まで来てるんだから。そうなのですよ、お姉ちゃんさん。病院はそんな毎日来るような所じゃないのです。毎日来てもつまらないのです。それに、それに、病院に居る人の中には、漫画が読みたくても読めないような、寝たきりの人も居るのです。ふしんきんなのですよ、お姉ちゃんさん。ミリンちゃんはどうにも言葉に感情の篭もった感じに味噌舐め星人を叱りつけた。まうで、そんな経験というか、そんな人たちを見たことがあるかのような口ぶりだ。そ、そ、そうなのですか、それは知りませんでした、てっきりタダで漫画の読める場所だと思っていました。申し訳なさそうにおどおどとする味噌舐め星人に、めっと指を突き出すと、ミリンちゃんは頬を膨らました。まったく、お姉ちゃんさんはもっと物事をよく知ってください。正しいと思って間違ったことを言うと酷い目に会うですよ。そうだな、まさに不謹慎という奴だな。