「ビネガーチャンはゲヘヘと微笑む」


 へぇ、それじゃぁ、お兄さんが先輩のお兄さんな訳ですか。これは失敬しましたでやんす、アタシはテレビでビネガーちゃんやらせてもらってる、墨田純子と言いやす。純子はすみことも読めるので、みんなはスミちゃんと読びやすが、アタシ的にはスミスミと呼ばれると、エージェントスミスみたいでテンション上がるっす。こう見えて、アタシ、マトリックス大好きなんすよ。マトリックスとはまた酷く古い映画を話題に出してきたな。俺は一作目しか見てないよと、冷たくビネガーちゃんに言い放つと、それはもったいないっす、すぐにでもTSUTAYAで百円レンタルして、借りてくるべきっすよと言った。っすっすがいちいち勘に触った。本当にどうにかならないのかね、この敬語もどきは。B太との仕事でのやりとりで散々聞かされたはずなのだが、どうにも彼女の喋り方は上手く耳に馴染まず、少しむず痒い。
 あのさ、もうちょっと普通に喋ってくれて構わないよ。俺は別に、アンタの先輩じゃない訳だからさ、そんな気をつかわなくっても。およ、そうでやすかい、アタシは別にそんなの意識してなかったんっすけど。こう見えて、下っ端人生が長いんで、ちょいと態度も口調も卑屈になっているのかもっすね。いや、卑屈というには、図々しい気もするんだが、まぁ、良いか。俺はビネガーちゃんのその説明で納得することにした。そうか、アンタも芸歴長いんだと言うと、芸歴っていうかパシリっすねと、彼女は屈託ない表情で俺に言った。アタシ、この界隈に入るまで苛められてたんですわ、あはは。
 重い話になるかと思ったが、意外にもビネガーちゃんはそれ以上自分の事を語ろうとはせず、話題をミリンちゃんにずらした。やれ、CMで初めて見たときからファンだっただの、気難しいけど後輩の面倒はしっかり見てくれるだの、けどあんなちっこい子に先輩面されるのは正直しんどいだの、どっちかっていうと自分が先輩面してミリンちゃんを構いたいだの、そんなどうでもいいことを聞かされた。挙句、いつかシャワールームに乱入して、体の隅々までじっくり発育具合をチェックしてやる、むふーと意気込まれて、身内として何とも複雑な気分を味わわされた。けれども、彼女がミリンちゃんを慕っているのは、なんとなくそれでわかった。以前、ポッと出の新人に地位を奪われてどうとか言っていたが、それが彼女の事だとするなら、ミリンちゃんも随分と自分勝手な奴だ。何だかんだで、根は良い子じゃないか。
 アパートへと向かう道すがら、タイミングを見計らって、俺は彼女にミリンちゃんの現状を説明した。風邪をひいていると言うと、それはぜひとも自分がタオルで体の隅々、恥ずかしい所まで拭いてやらねば、グヘヘと、彼女は言った。今、部屋の鍵を手中に納めて、俺の部屋に籠城中だというと、それじゃぁ夜寝てるタイミングを狙って、夜這、げふんげふんげふん、寝込みを襲うのが上策でやんすねと、彼女は言った。一応、ミリンちゃんの姉が面倒を見てくれているから、そんなに心配しなくていいと言うと、姉妹百合っすか、近親相姦じゃないっすか、駄目っすよそんなの、先輩にはまだ早いっす、畜生先輩のお姉さん羨ましいと、訳の分からない事を言った。なんとなく、ミリンちゃんが彼女のことを悪く言ったのが分かった気がした。